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【特別版】市井の巨人、故中西眞彦の思想

2018.10.1

当会創設者中西眞彦が平成30年8月に逝去したことを受け、改めてその心象風景を再思する。(紙面の関係上簡潔に記すため説明不十分はご容赦願いたい)

代表理事 無尽 滋

氏は先ず日本国は縄文時代の昔から営々と醸成され脈々と受け継がれた日本文明の骨髄が溶け始めている、また「日本国の精神」は再生不可能な臨界点に近付きつつある、と独特の表現で日本の現状を憂える。その要因の一つに戦後アメリカ占領軍により制定された憲法に比肩する「教育基本法」により日本の精神構造の美質であった独自性が衰退しアメリカ文化に染め上げられたとした。

アメリカ文化の特色は、ヒューマニズムを最高の価値に置き「個人」の自由と権利こそ最も大切とする「個人至上主義」であり、「自由こそ最も尊ぶべきもの」とする「自由競争主義」であり「物質的豊かさ」こそ人生の最も重要とする「経済第一主義」である。ついでに言えば自国を中心に置き周辺国は一段下に見る所謂「華夷秩序」の構築を目論む中華思想や、征服主義が基礎にある西欧文明はもはや通用しないとしている。

しかし現状は、アメリカ文明は一つの文明が滅びに至る前兆である精神性の尊重が希臼となり、貧富の較差、自然環境破壊等様々な病理現象を引き起こしている。この問題の解決には物質的豊かさへのあくなき欲求、経済第一主義の反省が不可欠であり、そのためには世界を支配している西洋キリスト教文明の人間至上主義の理念に替わる新しい文明理念が必要となると考える。その切り札が日本文明の中にこそあると考える。日本文明を簡単に言えば、まず譲り、相手に合わせ、相手の長所は柔軟に取り入れ吸収しながら、相手と一つになり相手を救け相手に貢献してゆく哲学である。

そこでなぜ日本文明なのかを客観的に示さなければならない。その為日本文明の基層に秘められた人間観、自然観、神感の哲学を抉り出している。それにより例えば国家の大きな課題である「教育基本法」の見直しにも新しい教育理念=哲学の明示が可能となるからである。西欧キリスト教文明では人間は旧約聖書にあるように「地上のあらゆる生き物をつき従わせる特別の存在」として「人間至上主義」があるが、日本文明における人間は「自然と共に生きる」「自然に生かされている存在」である。

西洋キリスト教文明の「明」の部分はルネサンスに始まり19世紀から20世紀にかけて自然科学の目覚ましい発達と産業革命による物質文明・機械文明の人類の恩恵がある。アメリカの独立革命の理念は自由で斬新で開放的な国を創ることであり、公明正大に何事も率直に是は是とし、非は非として認め発言する精神風土として定着している。「暗」の面は西洋キリスト教文明が普遍性=絶対性に欠け限界があることである。キリスト教は超絶一神論で他の神即ち他の宗教を否定し拒絶する。その帰結は多民族・他宗教への征服、闘争の歴史となって現れる。例えば十字軍は女、子供も皆殺しにしてその肉を食らう動物的な殺戮集団であった。

また現在の中東での際限なき「目には目」の報復合戦も、宗教文明の対立抗争にいきつく。更にルネサンスに生まれ「啓蒙主義」の時代からの政治の世界観即ちヒューマニズムがあり利便性向上のため自然の破壊は当然とされた。「民主主義デモクラシー」は絶対専制君主の独断専行より勝る政治手法ではあるが、真理はしばしば多数決による決定による決定の外にある。更に「個人」を重視し「個人の自由」と「個人の権利」を最大限尊重するこの帰結は、人間は、「善行の自由」よりも「悪行の自由」に走る性を持っており、無責任な自由が際限なく与えられるということである。

氏が主張する社会・国家観は、自然の生命体が持つ摂理に合わせて運営されるべきであり、「生命体国家」であるべきと考える。そのポイントは、生体メカニズムは個人(個の細胞)よりも全体社会(身体全体)こそ尊重されるべきであり、個々の細胞の存在意義と機能は、身体全体を生かすためにのみ存在し、その役割が機能しているのであり、個々の細胞(個人)の勝手気ままな自由の下に機能し働いているわけではないのである。これはアポトーシス(プログラムされた細胞死)と呼ばれる神秘的な自然の摂理を根拠としている。

地球発生以来生命の進化の過程を見ても個々の生命体・生物は永続し、次世代に受け継がれる「種の生命」の進化発展のために、ひたすら働き貢献し、活動して一生を終えるメカニズムになっている。この生命のもつ自然の摂理は、同種間はもちろん、異種の生物間にもお互いに救け合いの行動がある事は、最新の進化生物学の教えるところである。ダーウィンの弱肉強食の自然淘汰の法則は進化の一面でしかないとする。

日本文明であるが、神道には、教祖・教義・戒律などはない。古代人が自然に接し、その中から直接感じ取ったものだからである。普通はアニミズムと呼ばれる範疇かもしれないが、逆に肯定的に評価する。古代人達の神は自然の中に内在する「自然神」であり「先祖神」であり「人格神」であった。自然界を自分の身体としているもので、偉大な生命であるとみる。生命あるもの凡ての親は、子を大きく広い慈悲の心で慈しみ育てるものであり、神の心も慈悲に満ちたものであると考え尊崇したのである。即ち、自然=神に和し自然の摂理に自ら合わせる心、他者と和の為に先ず譲る心、相手を救ける心、全体のために自らを捧げる心、一言でいえば「和譲の心」を大切にした。これが日本人のアイデンティティである。

古事記の大国主命の国譲りの神話、聖徳太子の「十七条の憲法」、奈良時代の唐の異文化を取り入れながら中国化しなかったこと、明治維新の江戸城無血開城、武士階級は自らの特権階級の地位を投げ出した等である。自らの働きと犠牲で他人に尽くし他者を救けてなおかつ、その事を誇らない心、これは後世の優れた倫理観「陰徳」に通じる。

それでは古代人の持っていた「神感」はというと、一元でなく矛盾する二つの生命である二元性を持つことを鋭い感性と直観力で知っていた。「火の神」と「水の神」、「アラミタマ」と「ニギミタマ」、「荒れ狂う海」と「静かにないだ平穏な海」。人間でいえば、「男」と「女」による子孫繁栄の生殖活動の中に神の働きの神秘をみとった。染色体は二本で一本である。二重螺旋構造、四つの塩基文字は必ずAとT、CとGがペアを組んでいる。遺伝子もONとOFFがある。人体の免疫機能は交感神経と副交感神経がペア。人間の精神構造が知性(ロゴス)と感性・情感(パトス)の二元。物質としての肉体は究極的には分子と原子と素粒子になり、最後は「エネルギー」とそれを制約する「空間」の二元に帰着する(先端理論物理学)。

よって人間の集団の社会・国家運営の政治理念や経済理念も基本的に二元が道理と思われる。これらの考えから日本文明をベースに世界の指導理念足り得る普遍性を持った文明の理念について語り合い、核心となる「哲学」を共有すべきと考えていたのである。