【グリーン成長戦略と国家ビジョン研究会の戦略】  

2021.1.24.

国家ビジョン研究会 代表理事 無尽 滋

 菅政権が打ち出した「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」は世界と同一歩調とはいえ、漸く日本の国家としての戦略の明確性を示したものとして評価する。
 1917年のロシア革命からロシア内戦を経て1922年に成立したソビエト連邦は、69年後の1991年に崩壊した。ベルリンの壁崩壊は、1989年にベルリンの壁の撤去作業が始まった出来事である。中国は毛沢東の死後、1970年後半に鄧小平が事実上の最高権力者として中国式社会主義を打ち出し、市場経済を通じて社会主義を実現する政策がとられた。これにより社会主義共産圏は資本主義圏に合体される。社会主義共産圏の需要が創出され、安価な労働力、土地、資本が怒涛のように流入し、世界は大きく変化した。概ね先進国はこれを好機ととらえてうまく立ち回った。一方、中国は見せかけの資本主義のもと、先進国から資本や技術を姑息に収奪し成長した。翻って、日本は優柔不断に加え、不器用にまじめで姑息な手段はとらない国なので、バブル経済崩壊後の1990年代初頭からの失われた20年(30年)となった。この失われた20年で日本の富は3,200兆円以上減少した。 株と不動産でいえば1,500兆円以上減少したことになる。
 世界は今、グローバル企業や国家資本主義により格差拡大しており、資本主義の毀傷が露呈している。SDGs、ESG投資、デジタル通貨、株主偏重の見直し、中国の国家資本主義の挑戦などこれまでの世界の仕組・秩序が破綻する兆しはあちこちで見られる。
  国家ビジョン研究会ではこのような状況で、日本はどのようにすべきかを議論している。中国、東ヨーロッパ、アジア各国がある程度の成長をした暁には、日本の人件費も不動産価格も割高感は是正され、日本がまた復活するとみることは合理的である。行き過ぎた資本主義・自由主義は反省の契機を迎え、行きつく先は、世界の文化哲学が日本の思想文化に収斂することになると思われる。
なお、旧ソ連が約70年で崩壊したように、世界の反社会的無法国家である中国共産党も70年経過し、末期的な行動をみても、早晩崩壊の憂き目を見ることとなると思われる。
 それでは来るべき世界に向かって、日本は今何をやるべきかが問われている。
グリーン成長戦略はエネルギー産業分野では「洋上風力」「アンモニア」「水素」「原子力」、家電・オフィス関連分野では「住宅」「資源循環」「ライフサイクル」、輸送・製造業分野では「自動車・蓄電池」「半導体・情報通信」「船舶」「物流」「食糧・農林水産」「航空機」「カーボンリサイクル」の14分野を挙げている。
 当会は来るべき世界に向けて、種々の政策提言をしてきたが、グリーン成長戦略に当会の政策が多くピックアップされ意を強くしている。

参考まで以下、当会で活動しているエネルギー分野を4つ記載する。

① 「人口光合成」(エネルギー・化学産業振興委員会)
三菱化学中心に議連をつくり、人口光合成とCO2の化学資源化を提言し研究を推進している。実証まであと一歩のところまで来ている。光触媒により太陽エネルギーを使い、水から水素(グリーン水素)と酸素を作り、水素と炭酸ガスCO2を組み合わせてプラスチック等の有機化合物を作る。CO2の資源化、CO2の大幅削減を通じて新産業を創生する。

② 「原子力発電の炉の研究 溶融塩炉」(溶融塩炉研究開発事業化振興委員会)
小型モジュール炉は、複数の原子炉を接続してひとつのユニットを組み立てられるように設計されている。小規模な電力が必要なときは、2〜3基のみ設置できる。広大な都市に供給するには、原子炉を追加すればいい。小型のため、大量生産して数個のモジュールとしてあらゆる場所に輸送することも可能になる。重要な点は、小型のモジュール炉の場合、大型原子炉には使えない冷却や安全性確保のメカニズムを活用できる。このため、チェルノブイリ原発事故を引き起こす可能性は、ほぼ皆無となる。対応する炉は第4世代の「超臨界圧水冷却炉」「高温ガス炉ガス冷却高速炉」「Na冷却高速炉重金属冷却高速炉」そして「溶融塩炉」である。当会は「溶融塩炉委員会」を新設し、実現に向け研究を加速している。最高のエネルギー密度を発生させ、最も効率よく核物質を作れるナトリウム冷却炉に対し、液体燃料を活用することで安全技術を革新し、使用済核燃料の焼却に最高の性能を発揮できるのが「溶融塩炉」である。高度な安全性と核廃棄物のバックエンド処理、デブリ処理、発電炉・核変換路・熱供給路・水素製造路・淡水化炉、および経済性に優れる。

③ 「メタンハイドレート開発」(現在エネルギー・化学産業振興委員会に吸収)
・日本近海に100年分の埋蔵量がある(外貨流出回避外貨獲得・外交力増大)
・大規模発電エネルギー源
・大規模ガスコンビナートを作り安価な化学製品生産が可能
・メタンガスによる水素技術を転用可能で単位当たり1.7倍水素が取り出せる
・海外の海底埋蔵の掘削技術移転と資源確保(海洋資源確保への転用)

④ 「核融合」(核融合エネルギー委員会)
究極のエネルギーとして世界各国と協力して開発を進めている。当会は核融合委員会を組成し、側面からその実現に取り組んでいる。究極のエネルギーであり地上の太陽。これが開発されれば地球のエネルギー問題は解決する。燃料は海水、海水中にもふくまれる重水素とリチウムという物質です。核融合で発電ができると、重水素0.1グラム(水3リットル分)とリチウム0.3グラム(携帯電話の電池1個にふくまれる量に相当)で、日本人一人あたりの年間電気使用量(7,500キロワット)が発電できる。

松永安左エ門曰く「相当の力がある人が、その十分の一を他に用いるというような場合は別であるが、われわれのような、自分自身、非常に欠陥を持ち、力が足りず、いかにして自分を満たすかということに努力しているものは、いわば人間の不具者である。その不具者の自分が十全の人間にならぬうちにでしゃばっていろいろなことをするのは、いわゆるおっちょこちょいである、出しゃばりであり、また功名心である。あるいは欲望というものが、そういうところから発するのかもしれない。その本をはっきり断たない間は、世の中にでしゃばるべきではない」当会も肝に銘ずべきであるが謙虚に日本のためになる活動を継続していきたい。
<了>

※松永 安左衞門
(1875年(明治8年) ~ 1971年(昭和46年))
 電力業界で活躍した実業家。 戦前に九州、近畿、中部に展開した東邦電力社長、関東の東京電力(1925年-1928年)取締役を務めた。また戦後は政府の電気事業再編成審議会会長に就任し、戦時体制で国有化された電気事業の構造改革として九電力体制の枠組みを整えた。これらの業績を通じて日本の電力業界に大きな影響を与え、「電力王」「電力の鬼」
との異名を持つ。
 電力中央研究所の設立により、電力工学、科学技術・政策の研究開発体制を整備した。私設シンクタンクの産業計画会議を主宰して日本の産業経済全体について政策提言を行い、政府の政策に大きな影響を与えた。一時期政界にも進出し、政治家(帝国議会衆議院
議員1期)の経歴も持つ。
美術コレクター、茶人としても知られ、耳庵(じあん)の号を持つ近代小田原三茶人の一人。氏名は「松永安左ヱ門」と表記されることもある。(ウィキペディア)