【医療看護福祉分科会の目指すもの】 

2019.7.18

医療・介護・看護分科会委員 / 米財野口医学研究所理事長 佐野 潔

 “夢は描いているだけでは実現はしない、達成するには現実の分析と実現への努力と継続が必要である”。夢を語ることは誰にでもできるが、要は夢を語るにとどまらず、それを叶えるべく現実的方策を見つけ、そして日々の努力を継続する力、我慢強さがあるかどうかである。最近の合成語「グローカル(Glocal)」も同様な考え方で、実現難い夢に向かってただ天に祈願するのみで日々を過ごすのではなく、スタートラインとゴールを明確にし、現実との格差を知って、到達への道のりを考え、用意周到にかかる。夢の実現には、感情的にならず冷静に物事を分析して、スタートとゴールを明確にしてその方法論を熟考することが重要である。まずは足元を見ることから始める必要がある。

 “人生100歳時代、国民皆が低費用で高質の医療を受けられ、健康で幸せに安心して過ごせる社会”。“国が繁栄して、経済が豊かになり増大する多額な医療費が賄えるようにする”。“めざせ経済大国日本!”、“強い日本!”・・・・、 こんな時代遅れな単細胞思考は、もはや時代遅れである!
 今我々にできることは、残念ながら現システムを全てデフォルトに戻し新たなものを築くことではなく、現存するシステムのどこをどう変革することで連鎖反応的に全てが変革していくかを考えることである。今まで築いてきた問題だらけの日本の社会システムや制度の上に、より良きものを追求しつつ広い視野から様々な組織とのバランスを考えて変革していくしか方法はない。戦後75年に渡って日本は国民それぞれにサバイバルをかけて必死にしのぎを削りつつ利権を奪い合い、長期的ビジョンのないまま行き当たりばったりの政策対応で継当てだらけの社会制度を作ってきた。それが現実の日本なのである。この現実を知らずして夢を語っていてもイソップのキリギリスが如く飢え絶えるであろう。一方、蟻のように目の前のことばかりに囚われ勤勉に働いていてもいつまでたっても安息の日々はこない。
 「国家ビジョン」では、その名の如く長期的・大局的ビジョンを持って今をしっかり認識した上で何をすべきかを考えていかなければキリギリスや蟻の世界からは抜け出せない。「グローカル」という言葉が言われるように「グローバルに考え」、「ローカルに活動せよ」。まさのその通りであり、夢を語りつつも現実乖離を避け、鋭い洞察を持って目の前の壁のどこからどのように崩していけば良いかを見極め、新たに長期ビジョンに立ったサステイナブルな方策を作り政策提言として示していかねばならない。
 つまり、全体を見てそれぞれの分野がどのように関連しているかを見極め、そして最も核となるところを探し出し、そこを変革することでどれだけの連鎖反応が期待でき、最も効果的に医療変革が連動的に起こさせていくかを考える必要がある。医療福祉の問題は多岐多様であり、それぞれが連鎖反応的に影響し合い「毛玉」のように複雑に絡み合いながら、一貫した方向性のないまま転がりまわっている。「毛玉」をほぐす第一歩がどこにあるかを見極めることは難解である。
 例えば、いつも教育はその第一歩であると言われるが、その教育一つを持ってしても、医学部教育は文科省管轄、卒後臨床教育は厚労省管轄といった過去からの「縄張り」のしがらみが存在する。臨床教育導入しようにも圧倒的な教師不足が問題になり、増員するにも予算上不可能、医学部教員自身も何をどう教えていいかもわかないのが現状。そもそも将棋の駒を動かそうにもそれぞれの駒がその機能さへも果たす能力がないのである。ポリファーマシー解消のため減薬すればその分病院・薬局は減収になり、無駄な検査を減らせば医院・病院は減収になり、早期退院をさせれば患者家族が文句を言い、在宅ケアは負担が多いと嫌がり、もっと薬が欲しい・検査してほしい等々、無知による医学過信、病院依存による医療費の無駄が国民皆保険の実態であることは周知の事実である。今、「国家ビジョン医療看護福祉分科会」はそういった中で改革、変革を提言せねばならない立場にある。理を通せば皆の嫌われ者になる! そもそもの人間にとって、「医療の可能性・限界」、「真の健康」とは、さらには「人生の意味とその責任」とは、が個人の中で明確にされていないことに始まる。現状ではそこから教育せねばならないという話もまんざら笑い話でもないのが今の日本なのである。

 前置きが長くなったが、国の医療問題を考え変革していくには、現在に至る医療制度の経緯、医療自体の変遷、国民の健康意識、医療者教育の現状と限界、現行保険制度の問題、日本の医療文化をよく知った上で、多大な犠牲を持ってでも大改革するか、犠牲を最小限に変革するか、明確に決めなければならない。残念ながら大改革は望めないが変革は可能である。そしてそれはこれまでの歴史の上に積み上げていくしかない。

 これまで医療看護福祉分科会ではその辺を議論しつつ、広範な分野の医療問題を最終的に5つの大項目に絞ってきた。大きな医療という川の本流を変えるためにはその支流の中からできるだけ源流に影響の大きいものを探し出すことから始め、次の5つをあげた。①人権尊重のための事前指示書を法制化する(人権尊重、生き様死に様)、②早急な全科対応が可能な家庭医療専門医養成(専門医数制限、診療所教育の必須化)、③医療報酬包括支払い(かかりつけ診療所指定制度、かかりつけ付加点数、自己1割負担のみ、非かかりつけは5割、)+紹介専門医(専門医資格必須)は疾患別抱括支払い)、④医療者教育(関連病院による卒前卒後臨床教育の徹底、地域枠は全員家庭医療・総合診療指定、専門医数制限)、4年制メディカルスクールオプション、大学病院は研究(関連診療)のみ、⑤国民の健康教育(義務教育での医療教育:国民健康法)の5大項目に絞って、それぞれの変革連鎖反応のトリガーとなるべく核になる問題の抽出を試みてきた。
 医療看護福祉部門では政策提言を目標に活動を進めてきたが、現実を踏まえた連鎖反応の核となるべく問題への変革を重点的に考えたため、枝葉の問題と思われるものは連鎖反応としての変革を期待して提言の中には直接は明記されないものが多々ある。あまりに変革提言が多岐に渡ることで実現性が乏しくなる恐れがあるため主核題目に絞って議論を進めてきた。

 このように、医療看護福祉分科会としては「大改革」ではなく「変革」を、広い視野を持って軸を見失わないようにしつつ計画を行っていく必要がある。「お金さえ儲かれば、経済が発展すれば全て解決する」とか「日本人の平均寿命が長いのは医療がいいからである」といった無知無謀な判断はしないで欲しい。医療の良し悪しは「量」から「質」へのパラダイム変換を考えなければいつまでもキリギリスと蟻の砂地獄の世界に埋没しているだけでいつかは窒息することになる。

***********************************

《具体的方策》
 これまで医療看護福祉分科会では、国民が安心して命を預けられる医療制度を目指して、国の政策に提言すべく活動を続けてきた。
 しかし、医療分野の問題は極めて多岐にわたり、またこれまでの長年の医療保険制度の中で、利益をもたらす工夫をしつつ発展、サバイブしてきた病院、診療所が質よりも量に重きを置いて発展してきた経緯の中で、医療の効率、量から質への転換は容易なものではない。量を追い求めてきた結果として今では医療が科学に基づいた行為ではなくなり、個人的経験や勉強不足による時代遅れな治療、強いては患者の無知による要求に基づいて行われるという科学性の乏しい、間違った医療がまかり通っている現代である。病院においても経営効率上、患者の生活背景や習慣は無視した人間不在な検査依存医療が無意味な期待と根拠のない不安のもとに過剰にはびこっている。さらに大きな問題は、国民がその問題に気がつかず、むしろ医学を過信していることである。その裏には医師の素手の技量など診療能力不足や、質より量を基準とした保険支払い制度に問題がある。過剰医療で医療機関は設けているのである。そして患者も長年の偏った医療制度により過剰医療が普通と錯覚し、検査依存症になっている。
 今医療の質の改善が迫られる時代において、本当に国民のためになり、国民が納得する医療を展開するにはどうしたらいいのか。国民自身の医学教育・健康教育は必須であり、医学教育の抜本的改善、効率の高い医療、質の高い医療に対するインセンティブ、過剰医療へのペナルティーをつけるなど必要である。
 医師らの診療行動の変革に、医師のプロフェッショナリズムに訴え期待しても何も起こらない。制度として正当な金銭的インセンティブやペナルティーをつけるしかない。医師会と病院連盟の大反対は免れないが、過剰診療を助長する出来高払いから予算制包括支払いへ早急に移行すべきで、そのためには誰が主治医であるかを明確化させるためのかかりつけ医制度が必要である。そして、かかりつけ医にもそれ相応の専門医としての広い技術知識が必要であり、大学医学教育での知識丸暗記教育から実践的知識の応用中心の教育への変換、卒後研修でのシステマティックな修練と厳密な評価機構、これらが全て必要である。このように医療提言を行おうとすると、一つだけでは済まないことが分かるであろう。ここに医療問題の解決の難しさがある。全てが連動しており、すべての分野に過去からの利権が絡んでくる。つまりそれだけ反対が出るということである。しかし、医療には大改革が必要であり、多くの批判は覚悟で今大胆な変革をしないことには日本の医療は経済的に破綻し、医師不足により地域医療は崩壊するであろう。
 
《具体的変革構想》
1)人権尊重のための事前指示書を法制化する(人権尊重、生き様死に様)  
 65歳以上になったら医療機関受診時には必ず事前指示書を記入し提出することを義務化する。運転免許証・介護保険証との連動を考える。

2)早急な全科対応が可能な家庭医療専門医養成(専門医数制限、診療所教育の必須化)
 卒業生の50%は一般内科(総合診療)、小児科、家庭医療、に進ませ、家庭医に全科診療の任を負わせることである。特に地域枠奨学生は100%家庭医療・総合診療に進むことを義務付ける。今後増加する女医に対しても男性医師同様に地方での研修を義務付け、男女差の無いようにすることが男女平等の第一歩であると思われる。ただし、産休・育休・保育所援助は充実させねばならない。家庭医は専門医であり他の臓器専門医と同等に扱う。

3)医療報酬包括支払い(かかりつけ診療所指定制度(かかりつけ付加点数、自己1割負担のみ、非かかりつけは5割、)+紹介専門医(専門医資格必須)は疾患別抱括支払い)
 患者または家族ごとに一人のかかりつけ医(全科対応)を指定しすべての医療の入り口とする。自由標榜制をなくし正式な専門資格を持つも分野のみ標榜できるようにする。

4)医療者教育(関連病院による卒前卒後臨床教育の徹底、地域枠は全員家庭医療・総合診療指定、専門医数制限)、4年制メディカルスクールオプション、大学病院は研究(関連診療)のみ
 大学病院は研究と関連臨床病棟のみとし、その他の500床以上の病院は入院と救急にのみ専念し、一般外来はすべて診療所、200床未満の病院に任せる。 病床は急性期型と長期療養型とに区分し在宅診療を促進する。多くの医師はグループ診療(2人以上)として外来と在宅医療に関わる。

5)学校での医療・健康教育(義務教育での医療教育:国民健康法)
中学高校教育に、健康維持促進教育を取り入れ疾病予防、栄養教育、心身医療、救急時応急処置、簡単な症状の自己対処法などを教える教科を設置。