コロナ、人口減少にも拍車

我々の心の中にもウィルスが… 

2020.6.23

国際外交・安全保障分科会委員 水野達夫(人口戦略家、元外交官)

 今回の武漢から発生したコロナウィルス騒ぎで、人類の歴史は、ウィルスや疫病との戦いの歴史でもあることが改めて明らかになった。例えば、約100年前に発生したスペイン風邪では、感染者は6億人、死者は最終的に5000万人にも及んだという。当時の世界の総人口は12億人程度だったので、正にその半数が感染したことになり、凄まじい伝染力だったことがわかる。
 ただ、これよりもっと強烈だった疫病も数限りなく、14世紀にヨーロッパで爆発的に広がったペストは、皮膚に黒色の斑点ができることから、黒死病(Black Death)とも呼ばれ、当時のヨーロッパ人口の半分から3分の2が死んだ。
 また、13~16世紀にアンデス山脈南北4000KMにわたって繁栄したインカ帝国は、スペインから来たピサロの小部隊と戦って滅ぼされたとされるが、実は、その数年前から天然痘が大流行、帝国内がガタガタになっていたことが真因とされる。
 このような歴史を考えると、人類がここまで人口を増やし発展してきたのは、偶然運がよかったから、だけかもしれない。特に、日本において、神武以来の2600年の間、いろいろな疫病や自然災害・戦争の被害があったとは言え、ここまで人口を増やし、素晴らしい文化を築いてきたのは、世界の奇跡と言ってもよいであろう。
 しかし、日本のこれからの100年先200年先を考えてみると、言葉を失う。日本や日本人が存在しているかどうかすら確証が持てないのだ。
 衝撃的だったのは、先ごろ(2020.6.5.)厚生労働省が発表した人口動態統計だ。出生率はそれまでの1.42から大きく下落し、昨2019年は1.36になったという。また、出生数は、その前の年2018年が91.8万人だったのに対し、昨2019年は86.4万人で、実に5%以上も落ち込んでいる(因みに終戦直後のベビーブームの頃は、今の3倍、269万人だった)。このままのペースで落ち込んでいけば、約20年後には出生数ゼロになることは小学生でもわかるが、あまりの悲惨さに我々はそれをまともに見つめようとしない。
 この事態に対して、政府は、今後5年間で出生率を1.8に引き上げるべく少子化大綱を策定、新婚世帯への支援拡充、正規就労の促進等を打ち出しているが、予算バラマキの支援は、「ないよりはまし」と言える程度のもので、これまでの支援策の結果を見ても、人口減少を食い止める決定打にはなり得ないことは明らかだ。
 特に、今回のコロナ騒ぎで、結婚を先延ばしにしたり、胎児への影響を恐れて妊娠を避けようとするカップルが増えており、この2~3年は出生率がさらに低下するものと思われる。それに加え忘れてはならないのは、2026年の丙午(ひのえうま)だ。この科学やITの時代になっても、丙午の因習にとらわれて妊娠を避けようとするカップルは少なくないようで、前回1966年の丙午の年は、その前年の出生率より2割も落ち込んで1.57となり(それでも実は昨年の1.36よりは高い)、「1.57ショック」と呼ばれて大騒ぎになった。
 このように、出生率低下の要素ばかりが目につく中で、我々国民個人としては、何ができるというのか……。どう考えてみても、人口減少という日本全体を巻き込んだ巨大な潮流の中で、個人としてできることは何もないではないか、というあきらめムードと、自分たちの生きている間はまだ何とか大丈夫、という目先の楽観論で、実は、この出生率1.36という衝撃の報道が出ても、さしたる反響は起こっていない、というのが現状だ。
 人間というのは、絶対死に繋がるような嫌なことを考えるのに耐えられない動物なのだ。「そんな答のないことを考えたって仕方がない、自分たち個々人に何ができるというのか。今日あすの生活がひっくり返るわけでもないのだから、とにかく今を楽しく愉快に生きて行けばいいではないか…」と考えて、絶望に陥ることを避けようとする——それは、人間の生きるための知恵・本能と言うべきかもしれない。そういう‟今さえ良ければ、自分の人生さえ生き延びられれば”、という近視眼的な考えは、今、「個人の自由」「個人の権利」という美名の下に正当化され、あらゆるところで日本社会を蝕(むしば)んでいる。
 かかる閉塞状況の中で、我々として気づかなければならないのは、実は、そのような諦め意識、思いこみこそが、結婚や出生の低下にますます輪をかけている、という実態なのだ。逆に言えば、そういう閉塞した意識を家庭や社会で変えていくことこそが、実は、個人のレベルで実行可能な最大かつ最も効果のある人口回復策につながる、という点だ。つまり、今、一番必要なのは、我々自身の「意識改革」であり、それは、今からでも、誰でも実行可能なものなのだ。
 卑近な例で言えば、最近では、「もうそろそろ結婚を考えたら」「子供は3人以上生んでほしい」等と言おうものなら、たちまち「セクハラだ」「個人の自由への干渉だ」としてつるし上げられる。職場なら、問題発言として左遷されるムードとなっている。さらに問題なのは、その是非について、自由活発に議論する論調すら見られず、「もの言えば唇寒し」のような沈滞した雰囲気になってしまっている点だ。
 しかし、このような風潮は明らかに行き過ぎだ。というのは、「結婚して子供に恵まれ暖かい家庭を作る」というのは、古今東西、いつの時代においても、不変の真理であり、人間にとって(おそらく、あらゆる動物にとって)の究極の幸せなのだ。結婚して子供を持った親世代が、‟いろいろ苦労もあったけれどやっぱり結婚してよかった、生き甲斐ができて幸せだった”、という人生体験から、子世代に対して心から伝えたいアドバイスなのであり人生訓なのだ。もち論、結婚生活がうまく行かないケースもあろうが、その原因を考え除去する手立てを考えるのが人間であって、結婚や家庭を否定するのは本末転倒だ。
 そのような誤った個人意識が、結局、晩婚化、非婚化、出生数減少を招き、我々を絶滅の淵に追いやる最大の原因になっていることに我々は気づかなくてはならない。宗教者の観点から見れば、天に唾(つば)した人間が、天からの懲罰を受けようとしている、ということなのだろう。
 武漢ウィルスが外部からのウィルスだとすれば、これは我々内部に巣くっているウィルスであり、人口減少の厄災という観点から見れば、はるかに強力で厄介なもののように思える。
(参考文献:警世小説「日本!起死回生」PHP刊)