会員コラム(2)

日本よ、何処へ   第3回 その1

登利昌記(日本文明研究分科会 主任研究員)
2024年07月26日

 前回の稿(第2回)を書いているときは、これからの日本国をある意味占う首都東京の顔を選ぶ都知事選の序盤戦で、誰が都知事になるか未知数であったが、予想通り現職の知事が3選を果たして今後の都政を担うことになった。対抗馬としてマスコミで大きく取り上げられていた、立憲民主党出身のソ蓮舫は、広島の安芸高田市長だった人物の後塵を拝して3位で落選という結果になった。この結果に、国籍がはっきりしない人物よりも、学歴がはっきりしないほうがまだマシというのが大方の正直な感想ではないかと思うが如何か?

 敗戦の原因は様々に取り沙汰されていたが、私は少し異なった見方をしている。というのも、彼女が都知事選に出馬するよう背中を押していた人物がこれまた、すごい人物であったようだ。ある報道によると、ソ蓮舫の背中を押していた人物とは、現在は立憲民主党の代表代行兼参議院議員で、この人物は最初に国会議員選挙に出馬したときに「国会議員」でなく「国壊議員」になるために立候補したということらしい。この報道が嘘か誠か確認する気もしないが、もし本当だとしたら、狂気の沙汰としか思えないし、このような人物が代表代行している政党とは国を壊すことを目標とする政党か?もしそうであるならこの政党は論外で議論の余地なし。繰り返すが、もし本当だとしたら、いやはや恐ろしい話だし、底辺のところで、ソ蓮舫さんにマイナスの影響を与えたのではと思うが如何か?ともあれ、このような報道があること自体情けないし、立憲民主党の皆様ははどうお考えか。さらに、このソ蓮舫の選挙運動や演説に共産党が随分と前面に出ていたようだが、これも落選の大きな原因だったのではと推測する。換言すればこの女性候補は国籍問題に加え、国を壊そう?とした人や未だに科学的社会主義(志位共産党前委員長によれば、事実から出発して法則を見出すことらしいが、本当に事実に立脚しているのか根本的に疑問があるが、ここでは哲学的論争になるので保留)なるものを党存立の基盤にするまことに意味不明の共産党の応援をバックにした人物なのかと訝しく思われた気がする。このような人物が百万票以上を獲得したこと自体、それだけ投票する人がいるわけで驚きを禁じ得ないが。やれやれ次は自民党総裁選がどうなることやらと思っていたら、とんでもない衝撃のニュースが。

 都知事選から1週間後、ところ変わってアメリカの大統領選。共和党候補のトランプ前大統領の選挙集会で狙撃事件が発生。狙われたのはもちろんトランプ前大統領。この報道に接して咄嗟に思い浮かんだのは安倍元首相が、私の暮らす奈良の地で2年前の同じ7月、凶弾に斃れた事件。トランプ氏は右耳を負傷したが、命に別条はなかったとの報道。いずれにしても、暴力で物事を決めようとすることは民主主義と根本的に相容れない。アメリカ大統領選はどうなるのやら。この時点で、どうやらバイデン大統領は大統領選から撤退して立候補せず、副大統領のハリスを後継者に指名するという報道があった。日本にも直接的に最も影響がある国なので、無関心ではいられない。11月、大統領決定まで喧しい選挙戦が展開されることだろう。

 アメリカという国は幕末ペリー来航以来、好むと好まざるに関わらず我が国に最も影響を及ぼして来た国で、現今言われるように分断が今後もより激しくなるのか、それとも緩和の方向に進むのか、次の大統領が誰になるか、どのような政策を採るか、いずれにせよ我が国の運命に決定的な影響を与えることになる。ウクライナにロシアが侵攻して2年半になろうとしているこの時期、平和の方向に進むのか、それとも混沌状態がこの後も続くのかまったく不透明である。ウクライナだけでなく、パレスチナでもイスラエルとハマスの戦闘状態は持続しているのである。アメリカの力が昔日の面影は失われたとは言っても、まだまだ世界一の経済力・軍事力を有するアメリカ次期大統領の政策は、我が国のみならず世界の趨勢に決定的な影響を与えることは間違いない、パックス=アメリカーナである以上。

 前書きがまたまた長くなった。今回の稿で私が書こうとしたことは都知事選やアメリカ大統領選ではない。もちろん政治に関係することではあるが、時代がまったく異なる。前回の稿でソ連の消滅を取り上げた。歴史的に、数多の国家・王朝が生成・消滅した例として、戦後のソ連邦を挙げた。この国とも我が国は幕末以来、因縁浅からぬ関係であり、明治になって干戈を交えたことも述べた。アメリカのペリーは幕末に来航して開国を強硬に要求したが、日本の領土を犯すようなことはなかった。対照的にロシアは我が国の領土を侵害する行いをしたことがある。幕末、ロシアは日本の対馬を占拠したことがあり(1853年のクリミア戦争後)、前回触れた日露戦争の淵源になった出来事である。1861年の2月から8月にかけて、現在の長崎県・対馬の浅茅湾の芋崎を軍艦(ポサドニック)によって占拠し、ここに兵舎・工場・練兵場を建設、租借権を強請して占拠したことがある。幕府は対応に苦慮、困り果てていたところ、思わぬ助け舟を得て胸を撫でおろしたことがある。クリミア戦争でロシアを敗北させた英国がロシアに圧力をかけてようやく退去した事件であり、一部とは言え日本の領土が一時期植民地状態に陥ったことがある。この事例からも明らかなように、『力を背景』にした政治体質は王朝や政治体制が変わった現在も続いており、今後も変わることはないことを肝に銘じる必要がある。現在も我が国の固有領土である北方四島を占拠したままであり、この国の体質はなんら変わっていない。これと同じことを今ウクライナに行っているのであり、隣国にこのような懲りない国があるのはなんとも厄介な地政学上の大問題である。

 私がここで述べたい事は地政学上のことではない。歴史上のことである。つまり、『力』に頼った強引なやりかたで建国された国や王朝で長く持続したり、滅亡しなかった例は古今東西殆ど無いということである。どのような強力な国家もいつの日か力が衰え、他国や他民族の攻撃を受けたりあるいは自ら分裂したり、侵入を許してあっけなく滅んだ例は枚挙に遑がないように思う。力はいつか必ず衰退することを歴史から学ばなければならないのに学ばない愚かさ。換言すれば『腕力』に永遠はないということに尽きる。力は力を呼び、その力によって滅ぼしたり滅ぼされたり。つまり、歴史は私たち人類に、力による支配に永遠はないことを『歴史の法則』として教えようとしているのではないか。つまり、この力の行使による他国、他民族の征服に永遠はないという『歴史の法則』が厳然として存在するのではないかと考えるが如何。いずれ、どうして力を背景にした政治が世界を牛耳り、紛争・戦争がこの地上から無くならないのか、いつの日か人類は戦いに疲れて戦争のない世界を希求するようになるのか考えてみたい。とは言いつつ、すべての力の行使を否定するつもりはない。力を必要とすることは多くあるからだ。

 前回の稿で戦後のソ連邦を挙げたが、滅亡した理由は世界の覇権を米国と争って身の丈に合わぬ政策を遂行したことに尽きると考える。現在でも、プーチンのロシアは経済力で米国の十分の一以下しかない。当時はそれ以下の経済力しかなかったのでは。そのソ連が、宇宙開発・核兵器の開発など一時期は米国を凌ぐ勢いを見せていたが、途中で息切れしやはり長く続かなかったのである。つまり実力以上の無理をしたのである。国土は米国をはるかに超える広大さ、地下資源も豊富であったが、共産主義という政治・経済体制のソ連は、労働生産性という点で自由主義経済体制に比べて致命的な欠陥を内包していたように思う。もう少し掘り下げて考えたら、共産主義哲学に根本的誤謬判断があるのではないかとも考える。そして、1979年からのアフガン侵攻は約10年にも及んで体力を消耗し、ソ連の崩壊を早める大失敗策だったのでは。それと同じ轍をプーチンのロシアは今現在踏んでいるように思えるが。僅か数日で終了する予定が2年半近く経った現在も消耗戦を続けて、たとえ勝利したとしてもその後遺症・犠牲は後々ボディブローように効いてくるのではと考えるが如何に。いずれ、共産主義の思想・その根拠になっている唯物論哲学についてはどこに根本的問題が潜んでいるのか哲学的にじっくり考えてみたい。なにしろ、我が国の隣には「共産党一党独裁」の看板を掲げている国があるから。そして、現ロシアやお隣の共産主義国家を日本のマスメディアはどういうわけか「権威主義国家」と呼んでいる。私にはこの呼称が大きな違和感となっている。現ロシアのプーチン政権は、一応民主主義の看板を掲げてはいるが、その中身はとてもではないが「毒饅頭」そのもののような気がするが。

 戦後のソ連邦について書きたいことはまだまだたくさんあるがここら辺で区切りをつけて、今度は戦後から一転して、人類史の中でも燦然と輝きを放って多くの人を惹きつけて止まない『ローマ』を考えてみたい。『永遠の都ローマ』、『ローマは1日にしてならず』、『パックス=ロマーナ』のローマである。古代の地中海世界のみならず現在の西ヨーロッパ世界にまで版図を広げたローマ。ここまでの領土を拡大することができた要因は何だったか等々興味は尽きない。ローマは最初は小さな都市国家に過ぎなかったが、強力な敵対勢力に勝利したことで勢いが加速したことは間違いない。その相手とは、当時地中海貿易で繁栄していたフェニキア人のカルタゴである。そのカルタゴと地中海世界の支配圏をかけて戦ったのである。ポエニ戦争という、古代では最大規模と言える激突であり、宿命の衝突であった。この戦いに勝利した方が地中海世界の覇権を握り、地中海貿易の莫大な利益を背景に大きく発展することが約束されていたとも言えよう。このポエニ戦争は紀元前の昔、前後3回にわたって行われたようだ。ローマは危機に陥りながらもよく耐え抜き、特に第2回の戦いでハンニバル率いるカルタゴに勝利したことでほぼ帰趨は決定的になったようである。カルタゴとの激闘・死闘を制したローマは大きな自信を得て二回り三回り皮が捲れて大きくなっていったことは確かである。何事によらず、耐えることは成長するためには必要不可欠なことか。耐えるだけでなく失敗することも成長(成功)のおおきな一里塚ともなるように思える。

 やがてローマは紆余曲折を経てカエサルの時代に帝国の基礎固めはほぼ完成していたようである。このカエサルはシェークスピアの悲劇で有名なあのジュリアス・シーザーである。「来た、見た、勝った」と評される政治的・軍事的天才だったカエサル。共和政を重んじるローマの伝統を破壊する独裁者とみなされたか、ローマ発展の最大功労者が事もあろうに暗殺される悲劇の主人公となってしまったと歴史は教えている。「ブルータスお前もか」、これは死に際にカエサルが言った言葉としてあまりにも有名であり、信頼していた友人から裏切られたときによく使われる言葉である。確かにカエサルは、ガリアを平定して以後、様々な政敵を破って権力者として君臨し、事実上のローマ初代皇帝の地位を手に入れていたようで、皇帝然の振る舞いが災いとなった感は否めない。カエサルの言葉として「賽は投げられた」も有名である。これは一旦決行した以上もう後には戻れないときに使う言葉であり、ルビコンを渡河する際カエサルが発したと言われる。

 政治家ほど嫉妬深い人種はいないとよく言われるが、カエサルの暗殺も妬みや嫉妬が根底にあったかも。カエサルの、他に追随を許さない人気と権力の集中は、他の政治家の嫉妬心に火をつけた可能性が高く、共和制の伝統云々は追っかけ理屈かも。いずれにせよ、カエサルの時期にはローマが帝国としての輪郭をはっきりとさせた時期であることは間違いないことだろう。といっても、カエサル以前からローマは混乱状態で、カエサル亡き後に混乱状態は拡大、彼の養子であったオクタヴィアヌスが後継者となりようやく混乱を平定、ローマ帝国初代の皇帝になって地中海世界により強固の基礎を築いた。元老院はローマの混乱を平定したオクタヴィアヌスを高く評価して、尊厳者の称号(アウグストゥス)を彼に送った。オクタヴィアヌスはローマの伝統である共和政を重視する姿勢を見せながら独裁に近い政治を推進したようだ。父の暗殺の轍は踏まぬように、細心の注意を払いながらの皇帝政治だったのではないか。

 オクタヴィアヌスによる統治からをローマの安定成熟期とすれば、そこに至るまでの胎動・誕生・生成発展期は実に長期間に及んだ。そもそもローマはロムルスとレムスの双子の兄弟の狼によって育てられた物語から始まる。「ローマ」という都市名は兄のロムルスに由来するようだ。紀元前753年4月21日に建国されたと神話は伝えている。この双子の兄弟が狼に育てられた経緯は、ティベル河畔に置き去りされていた双子を、雌の狼が見つけお腹を空かせていた兄弟に乳を飲ませて育てた物語である。どこの国・民族にも建国、民族発祥の物語はある。もちろん、我が国にも建国神話はある。ローマ建国神話の信憑性はともかくとして、ごく小さな都市からローマは始まったということだが、建国された紀元前753年といえば日本でいうと縄文末期ににあたる。それから約7世紀の時を経てローマは安定成熟期に入ったということになる。

 ローマはフェニキア人のカルタゴとの死闘を経て実力を身につけて地中海世界の覇者となったことは先述したが、征服され統治される人々による度重なる反乱にも悩まされ続けたようである。古代から中世にかけて、力づくで征服された国・民族・人種は征服者の奴隷になることは宿命づけられていたことは歴史の常識であった。地中海世界において大規模な奴隷使役で高度な文明を築いたギリシャ文明もその例外ではなかった。奴隷による反乱は頻発し、ローマも奴隷反乱が日常茶飯事のように発生した。小さな反乱は記録に残っていないが、大規模なものは記録上3度発生したようである。

 ローマで発生した最初の大規模な奴隷反乱は、属州のシチリア島で発生したようだ。紀元前135~132年に発生したこの反乱は、奴隷使役で農業・牧畜が発達した「シチリア島の臍」と呼ばれた要害の地エンナで発生、混乱はローマに、さらにギリシャにも飛び火し、ローマは鎮圧に手を焼いて4年をかけてようやく沈静化したと言われている。先述したように、高度なギリシャ文明は奴隷使役の犠牲の上に成立した側面は否定できない歴史上の事実であって、有名なアケメネス朝ペルシャとの戦争においても、奴隷労働で得られた収入で軍事費を賄ったようだ。ギリシャがペルシャに勝利したサラミスの海戦でも、海軍力の整備にラウレイオン銀山収入が充てられたことが資料として残っているようだ。(テミストクレスがアテネの民会にはかって承認されたらしい)

 古代ギリシャのポリスでは、一般市民は家事労働のための家内奴隷を2~3人所有していたようで、銀山から掘られる銀を鋳造してつくられた銀貨を使用する貨幣経済が確立していたことがわかっている。この貨幣流通の経済はその後のローマ社会でも同様であって、時代が下るにつれて貧富の差が次第に顕著になったようだ。ローマではその後、奴隷は単に労働だけでなく、命をかけて猛獣と闘わされたり、奴隷同士が剣で戦う剣奴が養成された。剣奴を養成する養成所まであったという。どうして剣奴まで養成されたのか、理由はローマ市民が強く求めたのだ。猛獣と剣奴の戦い、剣奴同士の戦いをローマ市民は「娯楽」として為政者に強く求めたのだ。俗にいう『パンと見世物(サーカス)』だ。大規模な奴隷反乱が鎮圧され社会が落ち着いてくると、市民は刺激を求めるようになる。しかも段々と強い刺激を。その要求に応える政治を推進する為政者が市民の人気を得ることになる。

 ローマはまことに小さな、「吹けば飛ぶ」ような国家から出発して多大な犠牲を払って地中海世界の覇者となったからこそ、それだけの代償に見合うような刺激を求めたのかとも思う。カエサルという軍事・政治の天才を得て帝国としての基礎固めをした後しばらくは、オクタヴィアヌスやその後に優れた皇帝が輩出して様々な文化を花開かせたが、しかし、その中で帝国を蝕む矛盾は確実に醸成されていたのではないかとも思う。それはどのようなものだったか、さらに先述した以外の奴隷反乱、「権威主義国家」という呼称、またローマ発展の最大の理由等々は次回(第3回その2)に考察することにして今回は筆を擱くことにする。次回(第3回 その2)は8月後半を予定している。そして、共産主義については9月(第4回)を予定している。

日本よ、何処へ  第2回

登利昌記(日本文明研究分科会 主任研究員)
2024年05月06日

 前回の稿で私は、現今の日本は国の存立そのものが極めて危機的な状態にあるのではないか、ややもすれば国を失いかねないのではないかとの思いから、私見を縷々述べた。戦後79年目に入った日本は内外ともに問題山積、しかも問題が小手先の対症療法では対応できないほど重症化しているように感じる人は多いと思う。どうして国の存続を左右するようなことになってしまったのか、まずその遠因を探し出し、次にどうするかの遠大な展望が何としても必要になる。先ず、遠因(原因)を探し求め、患部は剔抉しなければキルケゴールの著作ではないが、『死に至る病』となる。どれほどの長さになるか予想がつかないが、何かの参考になればとの希望をもって少しずつ提言をしてゆきたい。日本という世界でも稀有な国の存続、発展を心から願うからである。

 私たち国民の凡ゆる活動は、現時点の国際的政治環境下では、国家が揺るぎなく存在していることが大前提であることに反対する人は少ないと考える。国民が安全に安心して暮らせる国家は何としても必要だ(もちろん、国家なんて必要ない、国家そのものが悪と考える人もいるだろう、無政府主義者もいることだし)。そういう意味においては国家の存在自体が国民にとって最大の福祉と言っていい。但し、その国家が国民の生命・財産・幸福を、或いは、国民の自由や人権を顧みないようなものであれば、国家そのものをやりかえる必要性があるだろうし、そのような国家は論外だ。家を建ててみたが、どうも住み心地がよくない、使い勝手が良くないと思えば・リフォーム、リノベーションする必要性がでてくるのと同じことだ。最初から完璧なものなどあり得ないから、少しずつ手直しをしなければ住民の利益に反することになる。どのような国家、どのような政治・経済体制がいいのか悪いのか、古代ギリシアの昔から議論されてきたし現在もされているしこれからもされるだろう。実に多くの哲学者、政治・経済学者、歴史家、政治家が研究し提言してきたが現在にいたるまで理想とするような国家は歴史的に存在したためしはない。それどころか、同じ国家が今日まで滅亡せずに存続したためしはほとんどない。

 過去から現在まで長い人類の歴史を眺めれば、多くの国家や王朝が勃興・滅亡を繰り返してきた。一体どのくらいの国家・王朝が盛衰を重ねてきたのか。参考までに述べると、先の大戦からわずか78年しか経っていないのに多くの国が消滅しており、その数は驚くほど多い。2012年に刊行された、吉田一郎著『第二次大戦後崩壊した183ヵ国』という書物がある。この183ヵ国と聞いてどういう感想を人は抱くだろうか。この183ヵ国には、小さな首長国や藩王国も含まれるということらしい。消滅するに至った経緯は各国それぞれであるが、この数字は国連加盟国に近い数字だ。僅か80年足らずでこの数字だから、人類の長い歴史からすれば推して知るべし。

 ではどのような国が先の大戦後消滅したのか。代表的な例を挙げると誰でも知っている国がある。そうソビエト社会主義共和国連邦だ。2024年2月末にウクライナに軍事侵攻し今も戦火を交えているロシアの前身だった、略してソ連、先の大戦後に米国と覇権を競った世界最大の国土を有する国家だった。そのソ連になる前の国名はロシア。ロマノフ王朝が支配する国だった。承知のようにこのロシアと日本は因縁浅からぬ国同士だ。その理由はいまさら書くまでもないことだが、我が国はこのロシアと1904年~05年(明治37~明治38)にかけて干戈を交えている。そう、「日露戦争」だ。

 結果的にこの戦争は日本の勝利で終わったが、この戦争は凡ゆる意味で欧米白人国家に大衝撃を与えた戦争といっていい。その理由は、この戦争まで有色人種国家が白人国家に勝利したことなどなく(というより、白人国家に有色人種の国家が戦いを挑むこと自体有り得えないと思われていた時代)、アジアをはじめとする有色人国家にとってみればにわかには信じられない勝利で、白人国家からすれば衝撃以外の何物でもなかった戦争といっていい。有色人種の国家は白人国家の植民地として長く支配されていたが、その構造に風穴を開けた戦争であり、その後の世界に与えた影響は計り知れないほどのものだったと言っても過言ではないだろう(世界史を書き換えた?)。ここではその点には詳細に触れないでおく。

  ただ、その勝利が実に微妙で、陸上の戦いは薄氷を踏むような勝利(奉天会戦など)であったのに対して、海上での戦いは、歴史上これほどの勝利があったかというほどの勝利だった、そう「日本海海戦」である。この戦いで、日本連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を完膚無きまでに叩き潰したものの、ここまでが日本の国力の限界であったことはよく知られている。したがって、陸上・海上の戦いを合わせると、日本にはもう戦う余力は、ほとんど残ってなかったといっても過言ではない。勝利したものの日本の損害も甚大で、このようなギリギリの勝利は、その後の日本の進路を決定的に誤らせることとなる。というのも、この戦いに協力してくれた英米との関係が悪化していき、それは日本の大きな不幸の始まりとなったからである。英米との関係悪化は、戦争後の満州権益に関する約束を日本が反故にしたことが最大の原因であるが、このことに今は詳しく触れない。結果的に、昔から云う「吉凶は糾へる縄の如し」となったことだけは歴史の事実だ。

 一方、敗戦国となったロシアも、国内的に大問題を抱えながら戦争を遂行していたのである。それは、1905年から始まったロシア第一次革命である。発端はよく知られているようにこの年1月、「血の日曜日事件」が起き、この事件をきっかけに市民のロマノフ朝皇帝への信頼が吹き飛んでしまい、本格的なロマノフ朝打倒の運動(革命)が始まったのである。このような国内騒擾を抱えながらロシアは日本と向き合っていたのであり、日本にとってこれは幸運なことだったが、もし、ロシア国内政治が正常に機能していたら日本の勝利はなかった可能性が高い。もちろん、歴史に「イフ」は許されないが。

 以上、明治以降、日露関係は因縁浅から関係にあり、日中戦争中には再び干戈を交えている(ノモンハン事件)し、先の大戦末期も両国に戦闘はあったが、そのことはさておき、日露戦争後のロシアは第一次世界大戦中の1917年に3月革命・10月革命が起こってロマノフ朝は倒され、人類史上初の「共産主義国家」=ソビエト社会主義共和国連邦として再出発することとなった。最高指導者はレーニン、後継者がスターリン、その後、フルシチョフ、ブレジネフと続き、戦後の世界の覇権を米国と激しく争い、東西冷戦の一方の主役であった。

 米ソ両国は超大国として世界を動かしたが、そのソ連が20世紀の終わり近くに終焉を迎えたのである。それ以前に、「ベルリンの壁崩壊」に続いて東西冷戦の終結を宣言したマルタ会談があり、その後ソ連の終焉となった(1991年12月)。それにしても、あのソ連があっけなく消滅したのである。その後に現ロシアとして再出発して現在に至っている。ソ連崩壊後の国民は政治的・経済的大混乱に陥り塗炭の苦しみを味わうことになったのである。なぜ、あれほどの大国が崩壊するのか、その理由は様々にあろうが、ここでは本格的に立ち入らない、それが本題ではないからだ。ただ、一つ言えることは米国と凡ゆる点で激しく争ったことによる経済崩壊があったことは紛れもない事実であり、過去も現在もこれからも国家にとって経済の舵取りがいかに重要であるかの証左だろう。これほどの国でも崩壊するということ、そして、この崩壊と前後して、東ドイツ、チェコスロバキア、南ヴェトナムが地図上から姿を消しさらに、ソ連の影響下にあったポーランドやルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、バルト三国などが政治体制を変えてソ連圏から離脱、それまで敵対していた西側の一員となった。このように、西側の勢力圏の拡大と、ロシアによるウクライナ侵攻とは深く関連する。

 つまり、国家はこれからも生成消滅を繰り返すのだろう。歴史はそのことを厳然として物語っている。時代とともに国際関係、人々の価値観や人生観や生き方も変わるだろうし、国家の存立条件もさらに多様化し離合集散を繰り返すのだろうし、戦いはなくならないのだろう。それは避けられないことであるが、自分たちの暮らす国がもし消滅したらいったいどういうことになるか、真剣に考えないといけない時期に来ていると考える。政治・経済は言うまでもなく、安全保障・教育・食糧の自給率に災害対策、人口減少と対をなす少子高齢化問題などなど問題は山積で、日本は待った無しの状況にある。つまり、どんなに痛めつけようと国は失くならない、滅びないなんて考えていたらとんでもない危険なことであろうと考えるが。いや、もしかすると日本国を亡きものにしようと考えている人がいるかも知れない。あるいは、根本的に日本国を造り変えようと考えている人がいるかも知れない。日本においては、言論・出版・表現の自由は憲法で保障されているから暴力を伴うもの以外は許されるだろうが。選挙で国のあり方を決めていくというのが最も民主的なやりかただろうが。しかし、これも安心はできず。今の時代なんでもありで、凡ゆる方法でもって選挙に介入し、フェイクニュースを流しまくって世論を誘導することも十分に有り得る。地下に潜伏して邪悪な活動を企んでいる勢力がいるかも知れない。幸いなことに、日本国民は国を失った経験がないので、国は存在して当然、亡国ということ自体何か他人事のようでピンとこないかも知れないが、国失った民族がどれほどの悲劇を味わったことか。くどいようだが亡国の経験がない日本国民は本当に幸せなのである。幸せ過ぎるのかも知れない。

 よく、人は「失ってはじめてそのものの価値を知る」という。価値を、重要性を、かけがえのないものの価値を。つまり、今後ますます国民一人一人の選択が重要になる。日本は今大きな岐路に立っているのである。戦後79年目に入った今年、どういう選択をしていくか?そう言えば、日本の首都東京の顔を決める都知事選が迫っている。どうなるのやら。小さな選挙ではない。誰が都知事になるか、その後の国政に大きな影響を与える選挙だ。海外も注目している。学歴詐称(AIゆりこ)VS国歴詐称(ソビエト蓮舫)の戦いなどとマスコミは大騒ぎをしているが。どこかの国の駐日大使が、台湾問題に日本が介入すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」という、実に不穏当な、下品な発言を先月20日にしたようだが、その大使館は日本の心臓東京にあることは言うまでもない。しかし、そのような発言に「基本的に同意する」と賛意を示す日本の元首相がいる国はどうなるのやら。ただただ、唖然とするだけだ。

 新聞報道によると、その国の大使が発言したのはある座談会のようで、同席していた日本の元外務関係者が10人いたようだ。しかし、大使の発言を窘める人物はいなかったとのこと。このような現実を突きつけられると、既に私たちは「国を失っている」のかも知れない。我が国の官房長官は「在京大使の発言としてきわめて不適切であると考えており、直ちに厳重な抗議をおこなった」ということだが。先ほどの元首相も同席していたようだが、この元首相の所属していた政党はどうしたのか、どう考えるのかお聞きしてみたい。国家の主権を脅かすような行為をする自民党のK議員(前稿)、同意発言をしでかす元首相、どうなっているのか。日本国の存立自体が足元から揺れている。大きな地震で大地が足元が揺れているのと同じ構図か。背筋が寒くなるような思いに駆られるのは私だけか。否、そうでもあるまい。            

 この駐日大使の暴言が報道されてから後に、またまたとんでもない出来事が発生した。この駐日大使の国の青年が来日後、東京九段にある靖国神社の石柱にスプレーで「トイレ(toilet)」と落書き、さらに放尿までして帰国との報道があった。信じられないことは、この行為に対して、政府が、首相が、抗議なり、警告をおこなったのか、どうも有耶無耶になったようである。日本国がここまで軽視され、侮蔑的な行為をされても何にもしない政府、外務省、今後、このような出来事はさらにエスカレートするのではないだろうか?このままだと日本国はいいように利用されるだけではないのか?どうしてこのような国になったのか、その背景は何なのか?既に、国家としての最低限の誇りまでも失ってしまったのか?

今回はここまでにして、次回(7月)は、以上のような状況に至った歴史的な経緯、次に古代ローマを取り上げ、その繁栄と没落、そして、国を失った民族の悲劇、さらに紙数が許せば著名な哲学者・思想家の著作やその思想なども紹介しながら私見を述べてみたい。

日本よ、何処へ 第1回

登利昌記(日本文明研究分科会 主任研究員)
2024年05月06日

新年度を一つの機会に、拙文ながら文章を書こうと思い立ったのは次の理由からだ。それは長い我が国の歴史を俯瞰するに、現下の内外情勢は日本国そのものが亡国・滅亡の淵に立っているのではとの危機感を強く肌で感じるからである。元来、文章を書くのは苦手で、読みにくい箇所や、あるいは疑問や誤った認識を述べることは多々あるのではと考えるので、その際は厳しい批評をいただければ幸いである。何の知恵も力もない一市井人の祈りに近い願いを込めた文を読んでいただければこれ以上の幸せはない。

 先の大戦から78年の歳月が過ぎた。これは日本人の平均寿命よりは少し短いが、ほぼ等しい年数と言っても良いだろう。先の大戦も明治維新からちょうど78年で終戦になった。つまり、戦前と戦後は同じ年数が流れたのだ。明治からの78年は、戦いの連続であったと言っていいだろう。「日清」に「日露」、「第一次」、「日中戦争」に、「大東亜戦争」とほぼ「戦争の世紀」とも言えるのではないか。最終的に亡国・滅亡の淵に立って「敗戦」で終戦となり、GHQによる7年の占領支配を経て、それから同じ歳月78年が戦後の歳月だ。この歳月で我が国は一体どうなったか。国民にとって明るい将来に向かっての歳月となったといえるのだろうか。政治は、経済は、安全保障は、社会は、教育は、国土は、価値観は、国家観は、国民の価値観・人生観などなど、明るいベクトルになっているのか。おそらく、日本の将来は明るい、希望に満ちているなどと思っている人はまずいないだろうと思うが。

 

 残念ながら近年ますます、目を覆いたくなるほどの惨状になっているのが現実ではないか。日々ニュース報道で目にする暗い内容は目を、耳を疑いたくなるほどで、このままいけば遠くない将来に「亡国・滅亡」の日を迎えるのではないかと危惧する。そう言えば、いつ頃だったかかなり前になるが、アジアの某国の首相だったか誰かが、「過去に日本という国があった」という日が遠からず来ると言ったとか言わなかったとか、ちょっとした物議を醸したと記憶している。この時の発言の狙いは「軍事的敗北」を示唆していたようだが。いずれにしても、こんなことを言われてきっちりと抗議するどころかヘラヘラ笑っている日本の政治家を見て、日本在住の米国出身の親日家がこの国の将来は暗いと諫言していたのを憶えている。

 明治からの「78年」は「戦って敗れた日本」であったが、終戦からの「78年」は「戦わずして敗れた日本」になりつつあるのではないか。なぜなら、内部崩壊ともいえる惨状が多くの分野で惹起しているのではないか。つまり、勝手に一人で転んで国という体を痛めているようにも見える。いやそれ以上に国民の意識構造が、価値観が劇的に変質しているのではないか。「日本病」という言葉があるのかないのか寡聞にして知らないが、この日本人の精神的構造が、悪くなる一方のように思えるが、どうだろう。換言すれば、日本人が劣化しているように感じる。

 日本人の意識構造が劇的に変質しているとは何か。それはあまりにも個人の権利や利益を主張して、「社会全体の利益」を省みなくなっているのではないか。いや、国民に限らず、その国民の運命に直結する政治担当者である政治家が、私腹を肥すことに専念し、国民には重い税負担を課し、自分たちは脱税もどきのことをしてもお咎めなしでは救いようがない。と言ってもこのような政治家を選んでいるのは国民である。このようなことを言えば、すぐ様、お前は戦前の「全体主義」・「軍国主義」を賛美しているのかと猛烈な批判を浴びることになるのだろうか?しかし、よくよく冷静に考えなければならないことは、「国」あっての個人ではないのか?憲法にあるように、個人の自由・利益・権利は保障されるべきであるが、それも程度問題のように思える。個人の自由や権利や利益の主張は暗黙に国家の存在を前提としている。その前提となっている国家の」存立が今や危機に瀕しているように思うのは私だけではないように思うのだが。

 つまり、私が強調したいことは、「国」は保証しろ、責任をとれと裁判でよく争われるのを耳にするが、その国がなくなったら一体誰が保証するというのか。まさかどこかよその国が日本人を保証することはあり得ないだろうに。また、憲法は個人の自由・権利・利益を無限に永遠に保証しているのかどうかということだ。私が感じることは、社会が国が由々しき事態に陥ってるのに、知らぬ顔の半兵衛を決め込み、頬被りをしていていいのか、ということだ。この社会の状態を苦々しく、また疑問に感じている国民は多いのではないかと思う。つまり、サイレントマジョリティーはぼちぼち立ち上がらないと亡国の悪夢を見ることになるのではとも思う。

 

 幸いなことに我が国は終戦から78年間、大きな戦争や紛争に巻き込まれることなく「平和」を享受してきた。実に幸運が続いたのだ。あまりにも長く「平和」が続いたので「平和」が当たり前になって、よく言われるように「平和ボケ」病に陥って感覚が麻痺しているのかもしれない。日本人は昔から「水や空気は只」と思ってきたといわれるが、そうでない(只でない)ことは近年の異常気象や様々なインフラの故障などで、実に復旧・維持に莫大な費用がかかることがわかってきた。と同じように、平和を維持するためには不断の点検と努力が必要なのだと思う。何もせずに向こうから平和がやって来るならこんな楽なことはない。お題目を唱えるだけで平和が実現できるなら苦労は必要ない。「平和」は誰かから与えられるものでも更にない。これまであまりにも「平和」が長く続き過ぎたので「平和」に酔っているのかも。なんであれ、あまりにすぎることは良くないのか。諺に「過ぎたることはなお及ばざる如し」と。

 「平和憲法」があるから日本は戦争に巻き込まれることなく、平和を維持できているなどと、どこかの護憲政党は念仏のように唱えていたが、しかし、どこかの国による拉致事件が起こり、未だに解決の糸口さえ見出せていないではないか。「平和憲法」があるにもかかわらず。この事態を護憲政党はどう説明するのか。それどころか、その拉致事件をおこした国は我が国の領海近くにミサイルをしばしばぶっ放しているではないか。一体、何の目的があるのか?意味するところは明瞭だろう。こんな悲劇が起きているにもかかわらず、解決に命懸けで取り組む政治家が現れないのはどういうことか?「平和憲法」があるから紛争や戦争に巻き込まれないなんて今でも本気で考えているのか。「平和ボケ」もここに極まれりか。安全保障については、またの機会に掘り下げて考えてみるつもりだ。

 上に挙げた国の他にも、我が国の存立にとって由々しき事態を招いている国もあるのではないか。その国の〇〇局の船舶はしょっちゅう日本の領海を犯しているのではないか。この国とは歴史的にも長い付き合いがあるし、文化の借財も大きいことは特筆しなければならないが、かといって手を拱いていい性質のものでは決してない。この国の船舶による領海侵犯に、我が国の海上保安庁の巡視艇乗組員は、日夜危険で過酷な任務を遂行しているのではないか?〇〇局といいながら本当の姿は、本格的に軍事訓練を受けた者が乗組員とみていいのでは。

 どこかの国の護憲政党は「平和」を長年唱え続けてきたわけだから、「拉致事件」を「平和裡に」解決してはどうか?きっと、平和を唱えてきたので「平和裡に」解決する「術」をご存知なのではないか?我が国の領海をしばしば侵犯している国を訪問して「平和」を提案したらどうか?我が国の政権与党議員の裏金問題を追及するのもいいが、上の行動をとったら国民からの喝采は間違いないのでは?(我が国の政権与党については、また、別稿で述べるつもり)

 また、先の大戦の終戦時、我が国との中立条約を破棄して、満州に攻め込み、そのどさくさ紛れの最中、北方四島を奪って、未だに返還交渉にも応じず、我が国の領空近くに爆撃機を飛行させて威嚇している国があるが、「平和」を唱えている議員は、この国の独裁者に「平和」の尊さを提案したら如何か?あっそうそう、この国の独裁者は、2年以上も前から隣国に軍事侵攻しているが、一向に終戦の気配がない。2年前の軍事侵攻以来、双方の死傷者は一説によれば30万人を超えるようだ。双方にとって地獄のような状態に終止符を打つべく、今こそ「平和」を訴えに訪問したらどうか?ああ、それからこの国の前身の国は先の大戦の終戦時、我が国の将兵を国際法違反を犯して抑留し強制労働に駆り立てた件については厳しく追及してもらいたいがいかがか。そのような動きはさっぱりないのはどういうことか理解に苦しむ。というより、単なるポーズか?とにかく日本においては、弾圧されることなく政権与党を批判しておけば、一定数の批判票は得られるからか。甘えも矛盾もここに極まれりか。

 これら、拉致事件の国・領海侵犯をしばしば起こして我が国との軋轢を増大させている国(この国は我が国のみならず、他の国とも領海問題を引き起こしていて、国連の常任理事国にもかかわらず国連による国際裁判の判決書を「単なる紙切れ」と言って憚らない)・隣国に軍事侵攻している国も国連の常任理事国であるにもかかわらず国連の全体会議の批判など何処吹く風。これら3国はいずれも我が国の隣国なのだが。これらの3国は、国際的な批判もどこ吹く風、蛙の面にションベンだ。いやはや、我が国の安全保障は風前の灯火か。

 

 さすがに、良識ある国民の多くは危機感を持つようになったと思えるが、実はこのような安全保障環境であるにもかかわらず、よりによって政権与党の中に唖然・呆然とするような発言をする議員がいるとはどういうことか?ニュース報道に接して耳を疑った国民は多いことと思う。仮に、この議員をK議員としよう。この議員が主催しているのかどうか詳細は知らないが、どうも再生エネルギーなるものを審議する委員会(タスクフォース)に、経歴の定かでない女性を推薦して、その女性が配布した資料の中に、我が国の領海侵犯をしている国の電力会社の「ロゴ」の透かしが入っていたとか。これは悪夢か?こんな案件をこの政権与党の総裁であり首相である人物はどう考えるのか?不思議なことに、政権与党の議員連中は行動を起こそうとしない。どう思ってるか存じ上げないが、敢えて黙りを決め込んでいるのか?

 さらにこの政権与党の総裁・首相は先日、国賓待遇で米国を訪問して、有り得えない大失敗をやらかした。米国大統領との会談後にそれはおこった。会談後の共同記者会見で事もあろうに「同盟国の中国」と発言したのだ。直ぐに訂正したものの後の祭り。昔であれば切腹ものではないか。常日頃、本音で思っていることが口に出たということでなければいいのだが。いやはや。

 この政権与党については、次回の稿で私が思っていることを忖度なく書いてみたい。その前にちょっと述べると、この政党の耐用年数・金属疲労はもう修繕のできない限界状態になっているのでは。もうとっくに歴史的使命は終わってしまっているのではと考える。いつまでもこの政党に政権を与けていたら、日本は終わってしまうのでは。この政党は戦後の1955年に2つの政党が1つになって誕生した。所謂(いわゆる)保守合同であり、野党も同様に合併して1955年体制が始まった。以来今日まで一時期を除くと、何度かの紆余曲折はあったが基本的にこの政党が政権を担ってきたことは国民がよく知るところである。

 企業であれ政党であれその他団体であれ、組織は誕生からの歴史が長くなれば必然的に、様々な問題を抱えて行き詰まる。人間個人で言えば加齢とともに心身に異常が起こり、医者にかかり処方箋をもらって投薬治療や場合によっては入院手術ということになる。でも、人間個人の寿命には限界があっていつの日か生命は尽きる。組織や団体が人間個人と異なるのは、常に組織改革・意識改革ができることだ。これら改革を時代の・社会の変遷とともに怠りなくすすめれば存続は可能となる。次代を担う人に上手にバトンタッチをタイミングよくすることも必須条件となる。でも、最重要事は改革よりももっと大事なことがある。この点について次稿で掘り下げて述べてみたい。

 ところで、平成が終わり令和になって6年目も早や新緑の季節となった。草木は一斉に青々と茂り生命力を感じさせてくれる。その生命力にあやかりたいところだが、我が国の現状では無理な相談だ。というのも、その自然が厳しい顔を見せているのだ。そう自然災害が次々と襲っているのが現実だ。令和6年が明けたその日、つまり元日に能登地方を震度7の巨大地震が襲ったのだ。正月そうそうこのような大きな災害は長い日本の歴史でも経験の無いことではないか。多くの石川県民が被災、本格的な復旧・復興は緒についたばかり。元通りの生活が1日も早く来ることをお祈りしたい。因みに、能登半島地震で被災された県民を慰問するため、天皇皇后両陛下は一度ならず二度も足を運ばれたことをつけ加えておく。

 

 明治の物理学者で随筆家の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」といったが、近年、その格言は当てはまりそうにない。特に、1955年の阪神・淡路大震災以降はまったくその感を強くする。阪神・淡路(震度7)を含めそれ以降の約29年間で、震度7以上の大きな地震は7回以上発生している。2004年に新潟中越、2011年の東日本、2016年熊本(震度7が2回)、2018年北海道胆振、今回の能登半島。参考までに、震度6が2回(2018年大阪北部、2024年4月17日豊後水道)。因みに東日本大震災の復興事業はまだその途上であり、この先東電の廃炉関連作業など気の遠くなるような問題が待っている。このように羅列すると阪神・淡路から日本の大地が大きく「ぐらぐら」揺れているのがわかる。大地だけではない。毎夏、日本各地で大雨による水害が頻発しているのだ。つまり、上(空)から下(大地)から自然界がこれでもか、これでもかと国民に迫っているようにも感じるが、これも杞憂か

 安倍政権時、ある高名な大学教授(内閣官房参与・国家ビジョン研究会メンバー)は、「国土の強靭化」を強く叫ばれていたことを記憶しているが、国民の努力や人知をあざ笑うかのような圧倒的に巨大な自然界の力を前に為す術もなく立ち尽くす以外にないのか。否、どのようなことがあっても克服していかねばならないと考える。私たちの先人も災害多きこの国土の中で「知恵」を絞り血の滲む努力をして歴史を刻んできたのである。ある時は優しく、ある時は厳しく、人間に迫ってきたからこそ人間は精神的に鍛えられたのかも知れない。つまり、「精神の強靭化」である。もちろん、自然は災害を齎(もたら)すだけではない。災害以上に途轍もなく大きな恵みを人に与えるのである。この恵みがあるからこその人間を始めとする生命体は生命を持続し子孫を残してきたのである。厳しく迫る「自然」と、優しく包み込むような慈愛に満ちた「自然」と、まるで正反対の表情を示す「自然」、一体どちらが本当の「自然」なのや。

 科学は、特に地球物理学は地球世界の構造やその動きを研究対象にしているようだが、まだまだ真の自然界を究明しているとは言えない。地震の構造や大気の循環など多様な表情を示すこの地球の構造は謎の領域も多くあるのだろう。つまり、惑星地球の真のメカニズムやリズムを解明していないということだ。例えば、地球の地下構造や大陸プレートの動きを真に解明できたら、地震予知も正確にできるようになろうが、その地震の予知さえできていないのが実情だ。地震予知がせめて天気予報や台風の接近、風速、上陸地点なみに予測可能になれば人的被害も物的被害も格段に少なくなるだろうに。これは無理な願望か。でもいつかできるようになるだろうと信ずる。いや信じたい。科学は不可能と思われたことをこれまでも実現してきたのだから、その可能性はあるはずだ。

 

 先述したことであるが、地球は実に様々な表情を持つ。常に恵み多き優しい姿を私たちに見せてくれればいいがそうはならない。近年は厳しい顔を人類全体に見せることのほうがずっと多いように思える。先日の新聞記事を読んで驚いたことの一つは、我が国に限ったことだが、今年に入って震度5以上の地震は20回発生しているらしい。この回数は異常に多い。この多さは何を物語るのか。次回は、この点について私なりの持論をそれを中心に述べることにしてこの稿を終えることにしたい。少し前書きが長くなったことをお詫びして筆を擱(お)く。