人口消滅 ― 起死回生の「中絶見直し」   

2019.3.3

人口戦略家・元駐ネパール大使  水野 達夫

 平成も残すところわずかとなり、平成がどんな時代だったかを振り返る論評があちこちで見られる。平成を総括するのも面白いが、今年の2月11日は、平成最後の建国記念の日だったわけで、さらに目を遠くに向けて、21世紀から2600年前の日本建国の日を振り返ってみると、神々の世界に戻ったような牧歌的な荘厳な気持ちになれて、一層面白い。これを戦前の紀元節復活の保守反動の陰謀だとして今でも批判する人たちがいるようだが、そんな無粋な後ろ向きの議論に参加する暇は全くない。むしろ今求められているのは、この美しい国・日本をどう継承し発展させていくか、という未来の問題ではないか。
 というのは、今、日本民族は、深刻な人口減少に直面している。それも、実は、少子高齢化などという生易しいものではなく、本当は絶滅というべきなのだ。あちこちで、30年先、50年先の人口予測の折れ線グラフを見かけるが、その下降曲線を100年先、200年先まで延長した場合、限りなくゼロに近づくのは誰の目にも明らかではないか。誰しも、そこまで考えるのは恐ろしすぎて、絶滅という過激な言葉を使わないだけで、恐ろしいことから目を背ける人間心理に陥っているに過ぎず、事態は確実に絶滅に近づいている。
 考えてみると、今までの2600年の日本の歴史は、紆余曲折はあったものの、類まれな発展と人口増加の歴史であったが、転じて、今後2600年先を考えると、誰しもがイメージできず言葉を失う。
 以前、「自分の国が100年後、200年後に存続していると思うか」というアンケートの質問に対し、多くの国、特にアフリカ、アジア、中南米の中小国の国民が、「別の国になっているかも」、「わからない、」と答えた、という報道があった。これに対して、日本は「当然存続」という答えが断トツ1位を占めた、という。
 日本人にとっては、日本という国が存続するのは当たり前、そんな質問をすること自体が非常識、という感覚だったのだ。しかし今や、情勢は変わった。人口のグラフなどを前にして、日本が将来も存続しているなどと、誰が自信をもって言えるだろうか。
この深刻な事態を何とか切り抜けるために、早急に国民の英知を結集しなければならないが、その第1歩として、建国記念の日を「建国記念と存続を考える日」と解釈し直し、我々一人ひとりが家族と国家の継承・発展のために何ができるかを真剣に考える日とすることを提案したい。そして、建国を祝うと共に、日本民族を如何に存続・増加させていくかの具体策につき国民的議論を深めることこそ喫緊の課題なのだ。
 考えてみれば、今の日本では、この人口消滅という国難に対して、まだまだ正面から取り組むまじめな議論がなされているとは言い難い。「生産性を上げてピンチをチャンスに」とか「江戸時代や明治初めは3300万人だったのだから、その古き良き時代に戻るだけ」、あるいは「Iターンの若者を呼び込んで寒村の賑わいを取り戻す」などという“はぐらかしコメント”で何となく終息して来た。ひどいのは「高齢者の定義を“65歳以上”から“75歳以上”に引き上げれば一挙に老人人口や高齢化率は減じる」などというもので、これなどは国全体の人口を増やすことと何の関係もないまやかしだ。
 この少子高齢化を初めて国難と位置付けたのは、2017年総選挙での安倍政権であり、画期的ではあったが、残念ながら、その後の施策は待機児童の解消など予算バラマキ策ばかりで、出生率向上には全く成果が上がっていない。真に必要なのは、子供は家にとってだけでなく国家にとっても宝であることを国民に広く呼びかけ、子や孫を持つことが如何に楽しく幸せであるかを若い世代に知ってもらうことだ。つまり、子を持つことに対する意識改革こそが必要で、「子供を生めるような環境の整備を」などとオウム返しに叫んで何もかもを行政のせいにしていては、永遠に出生率は上がらない。「もうそろそろ結婚したら…」などと語りかけることがセクハラだなどという世知辛い風潮も早急に改めなくてはならない。
 それともう一つ大切なのは、人口妊娠中絶が年間16~20万人にも上ることで、母体保護法で認められた経済的理由を元々の趣旨通り厳格に運用し、違反者には罰則を科せば、その殆どが出生数に上乗せされ、人口は明日から増加に転ずる。欧米では、カトリックが中絶や同性婚を認めていないことから、中絶禁止はどこの選挙でも大論争となるが、我が国では中絶の是非が議論されることは殆どなく、実質“世界に冠たる中絶天国”が放置されてきた。最近は、世の中の関心が薄れて来たのか「中絶天国」という言葉すらあまり聞かなくなった。
 ただ、中絶を厳禁した場合の最大の問題は、生み落とした妊婦に代わり、生まれてきた子、あるいは捨て子を誰が育てるかである。今までは、赤ちゃんポストや乳児院、児童相談所を通じ里親の申し出を待つ、というルートしかなかったが、今後は、大規模な国立の長期養育施設を作り、ゼロ歳児から引き取って、集団教育を施し、中卒、又は高卒の段階で、国家公務員として就職してもらうという、という大胆な制度設計が必要になってくる。
 もし国がこのような先例を示せば、仏教、キリスト教などの宗教団体、さらにはIT企業群も同じような長期研修養育施設を作り始めるかもしれない。なぜなら、今、神社仏閣、IT企業は、深刻な後継者不足、IT技術者不足で存立の危機、経営の危機に瀕しているからだ。さらに、このような養育施設が広まれば、自分の子を5年だけ、あるいは10年だけこれら施設に預けるキャリアウーマンやシングルマザーも増え、子育てが楽になって、結果的に出生数の増加にも繋がろう。
 今や優等生的な空理空論に時間を割いている暇はない。これまでの既成の法制度の枠組みを超えた大胆かつ具体的な人口増加策こそが、平成を継ぐ新しい代に求められている。