―論点の基本的枠組み―
国家ビジョン研究会 代表理事 中西真彦(2015年9月1日)
(1)文明論
まず初めに今、なぜ日本文明論が必要であるのかとの設問から入りたい。国内的要因から論ずることとする。
21世紀初頭の現在の我国の社会は、一言で評すれば、アメリカ型民主主義が至上のものとされ、国家ビジョンなき政治は、衆愚政治に堕落しつつあり、国民大衆を正しく指導し得ず、アメリカンカルチャーにどっぷり汚染された経済発展至上主義、精神主義の側面を軽視する物質的豊かさ第一主義の風潮が蔓延している。
また、個人の自由・個人の権利・個人の尊厳を重視するアメリカ文化の精神で出来ている「教育基本法」によって教育された国民の間には、個人主義=利己主義を是とする空気がはびこり、エゴイズムに起因するあってはならない親殺し、子殺しなどの異常な事件が多発している。
今、日本国は文字通り病んでいると言わざるを得ない。日本に縄文期の古代以来伝承されてきた日本人のアイデンティティーは、忘れ去られ、消え失せようとしており、このまま推移すれば伝統的日本国は消滅するであろう。
そこで重要なことは、このような異常な社会の病理現象の真の原因、最も大きな原因は一体何であるのかが問われねばならない。このことこそが我々の問題意識である。日本国は21世紀初頭の今、大きな壁にぶつかり、重要な国家の命運を左右する岐路に立たされている。
太平洋戦争後の復興期を「奇跡の復興」と呼ばれる力強さで乗り切り、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた素晴らしい成長期を経て、世界一流の経済大国になった日本は、ここにきて長期間のデフレスパイラルの蟻地獄から脱け出ることが出来ず、国民の可処分所得は20年間ひたすら減少し続け、加えて超円高の圧力を受けて企業は収益力を低下させ、海外の最適地生産拠点を求めて動いている。
結果として国民の雇用は失われ、少子高齢化とともに国力は衰退しつつある。ここにきて日本の金融政策の異次元の改革とアメリカ経済の復調や、中国の経済・社会情勢の不安定化で、日本企業の国内への回帰が始まってはいるが・・・。日本国はこのまま三流国、四流国への道を辿ることになるのか。はた又、再び奇跡的な復活再生への道に進むことが出来るのであろうか。その鍵は「日本文明の哲学」の中に隠されていると我々は考えている。
次に、冒頭に掲げた設問に国際的視点から答えたい。
世界的に著名な文明史家サミュエル・ハンチントンは、世界を七大文明に分類した上で、日本を中国文明にも属さない、インド文明の亜流でもない独自の文明圏であると位置付けている。日本の代表的な文化人類学者、梅棹忠夫は、『文明の生態史観序説』の中で、日本文明の他文明に対する独自性・優越性を比較文明論の視座で大胆に論じている。
我々は日本文明を研究するにあたり、この優れた先達の知見に共感し、その文明史的解釈を先ず認め、その上で我々独自の研究領域に取り込むこととしたい。我々の研究の問題意識は、日本文明の内実が他文明と異なる独自性をもつことは認めるが、その独自性が果たして、ただちに日本文明の文明としての真理性・優越性・普遍性をもつものであるとは、断ずることは出来ないというものである。
かつて太平洋戦争後、アメリカ占領軍のメンバーであったルース・ベネディクト女史は、その著『菊と刀』で直接話法での批判は避けているが、日本文明を普遍性なき特殊な、かつ好戦的で野蛮な低次元の文明であるとした上でアメリカンカルチャーによる洗脳の必要性を世界に向かって喧伝した。
そしてアメリカ占領軍によって、その目的達成のために起案され、日本人の精神文化の改革に大きく貢献したのが、「教育基本法」であったのである。21世紀初頭の現在、日本国家の構成員である国民は、親・子・孫の三世代にわたって、この教育基本法の精神によって教育され洗脳された人々であり、縄文時代以来一万年余りにわたって、日本人のアイデンティティーとして継承されてきた日本文明の面影は、今やない。そして風前の灯火の如く消滅しようとしている。
日本国は四季に富み、黒潮と親潮が岸辺を洗い、山と森と緑の豊かな自然のあふれる世界でも稀にみる風土である。日本人はこの自然と共生し、自然の摂理に育まれて生活することにより、自然から一万有余年にわたって刷り込まれたものこそが日本人のアイデンティティーであり、日本文明の基層に潜み生き続けてきた哲学である。
我々はこの素晴らしくかけがえのない自然から教えられた日本文明のもつ哲理を掘り起こし、抉り出して一つの体系として開示して、結論をあえて先取りして言えば、そこに秘められている真理性・客観性・普遍性を世界に向かって広く訴え、かつて戦後ベネディクト女史が行った喧伝が誤りであったことを示すと共に、西欧キリスト教文明のもつ限界が囁かれ、いずれ終焉を迎えようとしている時、新しい21世紀の世界の指導原理として世に問いたいと考えている。
このような挑戦は、大胆不敵な試みであり、文化人類学の比較文明論の視座からは、世界の各国、各民族の文化・文明は皆それぞれの歴史と独自性と美質をもっており、一国の文明の押し付けには、身びいきの思い上がりであるとの反論も予想されるところであるが、反面、今日の世界の現実は、各国、各民族の「文明の衝突」と、せめぎあい殺し合いで混迷のただ中にある。さらに踏み込んで言えば、世界は今までの指導原理であった西欧キリスト教文明に替わり、それを越える新しい文明の原理、すなわち、ワールドガバナンスを必要としている。
(2)歴史に見られる原理
そこで我々は日本文明史を論ずるにあたり、歴史や史実は元々人間行動の複雑・多様な、また地域的・時代的な時系列情報そのものであり、いわば歴史の証言者でもあるわけであるから、我々はまずその歴史研究の中からその流れを貫徹して、流れる基層に秘められている「一般法則・普遍法則=哲学」を抉り出す作業に入る。この作業にあたって重要なことは、我々は如何なる仮説(問題意識)に立って分析、解明の作業を行うかということである。時代ごとの分析、解明は数人の研究者により分担して執筆されることとなるが、その場合、大切なことは執筆者各人に共通の問題意識が一本の糸として存在しなければならないということである。そこで、この共通の問題意識、すなわち基本的な論点について以下述べることとする。
文明論とは単なる歴史の出来事、事象の克明な記録とその解明を目的とするものではない。それは歴史学にゆずる。その目的は歴史全体を通じて流れる「普遍的・基本的な一般法則」の解明であり、歴史の底流に潜む哲学の抉出である。日本文明論を論ずるときに不可欠なことは、一つは過去の文明の歴史を知り、未来を了見する視点であり、いま一つは日本文明と他の民族・国々の異文明との比較検証を行う、開かれた広い視座である。よって我々は先ず文明の萌芽が芽生えた石器時代、縄文時代より始めて、日本文明の歴史的概観をしながら、その文明社会の基層に潜む基本的な一般法則、すなわち文明の哲学を抉り出すこととする。
【仮説】
さてそこで研究に先立って仮説としてもつこととなる我々の問題意識であるが、人類の進化発展や文明の興亡の歴史の中には、或る法則が有るのか無いのか。有るとしてその法則は如何なるものであるのか。さらに踏み込んで言えば、それは人間の人智に基づくものか、あるいは自然・宇宙の摂理によって形成されているものであるのか等の根源的な問題意識をもつ必要があると我々は考えている。我々は「自然・宇宙の根本法則」は厳然として客観的に存在するとの仮説に立って研究を進めることとする。
その哲理を一言で表現すると以下の如きものとなる。すなわち「二つ一つが自然の摂理であり天地の摂理である」とするものである。哲学的に解釈すると、この世の自然界および人間社会のものごとの実現、成り立ちには、その根源に二つの相矛盾する二極対立の実在があり、この根源の二元の要素が、二極が一つに作用してすべての現象・事象は発現しているという難解な深い形而上学上の命題となる。この様な課題は哲学上の根本命題であり、ここで軽々に論断すべきものでないことは承知しているが、我々の日本文明論研究の仮説としての問題意識であり、基本スタンスでもあるのであえて触れておきたい。
(3)構成
次に論文構成の大枠として我々は以下の如く論文構成を企図している。
まず大枠のスキームは、上巻、下巻の二つに分け、第一のスキームである上巻の枠組みでは文化人類学的視点で縄文期以降の日本の歴史を探り、そこに秘められている自然観・世界観・人間観・神観を解明する。すなわち歴史の変遷の中で、仏教はじめ大陸からの外来文化を柔軟に受け入れながらも、生き続けた日本文明の核心部分は何であったのか。そこに息づいていた哲理はどのようなものであったかを明らかにしたいと考えている。
【縄文期】
その第一部では、まず石器時代より始めて縄文期に着目する。
縄文時代とは、一万五千年前に始まり一万年以上の歴史を展開する時代をいうが、縄文時代の思考原理は現代人の理解を超えたある種のこだわりを持っていたことが遺跡の発掘から垣間見えると考古学者はいう。すなわち、土器の形体における火焔型と王冠型の二者が教えるものは「対立と目的」とも言える単に物理的用途とは別次元の深い思考の原理「二項対立の観念」である。このことの証拠としては、集落における二つの部落群や、墓墳群、二つのゴミ捨て場や、墓地における東西軸と南北軸等々である。学者はこれらを捉えて縄文人の「双分原理」の思想といっている。縄文時代の古社のたたずまいも、古代人達が「相矛盾する二極対立の実在」を神観のあるべき姿として本能的な直観でとらえたであろうことを我々に教えている。
縄文期からあるとされている奈良県山の辺の道にある三輪大社は、日本最古の宮であるが、山頂にそれぞれ別々に「火」を祭神として祀る社と、「水」を祭神として祀る社の二つが存在する。伊勢神宮は持統天皇(645~703、即位690~697)の時代から天皇家の氏神として皇大神宮となったが、それより数千年の昔、縄文期は伊勢の海で生活した縄文人達の祀った古社であり、「ニギミタマ(和魂)」と「アラミタマ(荒魂)」の二つの祭神を別々の社に祀っていた。現在も奥伊勢には伊勢神宮の原型である二つの社が、並立した形態の社宮として(瀧原の宮)残っている。
京都の上賀茂神社、下賀茂神社は葵祭りで有名であるが、二千五、六百年前の昔から、御陰(みかげ)神社に祀られているアラミタマの祭神を、ニギミタマを祭神としている上加茂神社と下加茂神社が五月十二日の昼と夜に年一回、それぞれお迎えする御陰祭りの儀式こそが最重要な神事とされている。この神事は、二つの神が一つに合体するというものである。世界遺産に指定されている神仏混在の聖地である熊野・吉野地域の熊野大社はじめ神社・仏閣は、古い山岳信仰も息づいている複雑な信仰形態をもっているが、我々のフィールドワークによれば、ここにも歴然とニギミタマとアラミタマの二元の神を祀る「対の古社」がたたずんでいる。ここに見られるものは、「かんながら」と呼ばれる古い教祖もない古代人達の宗教観であるが、それはアニミズムと称される古い原始宗教形態として、現代の比較宗教学者たちが幼稚な低次元の多神教として軽視している如きものではない。逆に非常に深い自然との共生の中から刷り込まれた、自然の摂理から学んだ優れた神観を示唆しているといえよう。
【古代、中世、近世】
降って、飛鳥時代に中国から仏教文化が渡来し、日本文明はその影響を色濃く受けたことは事実であるが、重要視すべき問題は、その仏教文化の取り入れ方、摂取の仕方にある。一部の学者のいうように日本文明は外来文明である仏教・儒教・道教等の積み重なった重箱の積み重なったような単なる重層文明ではない。一言でいえば、日本古代の縄文期以降、日本文明の基層に潜み生き続けてきた独自の二元論哲学とも言うべき思想に立ちながら、巧に外来の仏教思想を消化吸収して我がものとした事実があると我々は考えている。
弥生時代以降の奈良朝、平安朝でも、その政治のシステムは天皇は神を祀る祭祀者としての権威をもつが、現実の政治は藤原氏がしきった二元構造であった。遣隋使・遣唐使の中止は、中国の絶対専制君主である一元の政治システムへの違和感からであった。その後の鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府の時代は天皇制との二重性をもった時代であったが注目すべきは、中国渡来の律令国家体制が崩壊、否定された「承久の変」の後、伝統的な日本文明を踏まえた独自の統治原理にたった政治システムである「御成敗(貞永)式目」である。「御成敗式目」とは、時の鎌倉幕府の執権北条泰時により制定されたところの、旧来の中国伝承の律令国家体制を越えた、新しい日本独自の発想による政治システムであった点が重要である。そして泰時の知恵袋であり、今風に言えばシンクタンクの役割を果たしたのが明恵上人であったわけであるが、我々が注目するのは、この明恵上人は単なる仏僧ではなく、日本古来の古神道(かんながら)や儒教にも精通した総合的知識人であったということである。この中国からの借りものであった律令国家体制を超えた日本独自の政治統治システムであった「御成敗式目」の「あるべきようは・・・」との言葉で表現される政治哲学は、一言で評すれば、自然の摂理、自然の秩序を範とするものであったと言えよう。このシステムは縄文の古代の昔から日本人が自然と共生し共鳴し、自然から刷り込まれてきたものであった。以下、簡潔にその内実の思想について触れておきたい。
先の「式目」とは、一言で言えば、日本人の手になった最初の日本の法律であったと言える。古代日本は中国等よりは文化的に後進国であり、「承久の乱」までは飛鳥・奈良朝時代以降、中国の律令国家体制をそのまま真似て、統治機構としてきたわけであるが、「承久の乱」で鎌倉幕府は朝廷側と正面衝突し、三上皇を流罪とするとともに、奈良朝以降続いていた藤原氏による摂関政治体制を終焉させたのである。
従って国家統治のための根拠となるべきものは中国に求めるわけには行かない。日本独自のポリティカルガバナンスのための「哲学」が必要となったのである。従って新しい法律である御成敗式目の根拠は、日本古来の伝統として、国民の中に受け継がれて、生き続けてきている「しきたり」が重視されざるを得ない。そしてこの日本人の間に生き続けた「しきたり」とは、上述した自然との共生の中から自然の摂理と共鳴し、自然から刷り込まれたものであったと言える。その「道理」「哲理」は特定の人間の知恵や才覚から生まれたものではなく、自然のもつ摂理によって根拠づけられているものと言って過言ではないであろう。
そして、このシステムと精神はその後の鎌倉時代、室町時代、江戸時代の幕藩体制の核心に生き続けたものであったとの解釈にたって本論では歴史学者、政治学者、文明史家の力を借りながら詳論する予定である。
【明治維新】
さらには明治維新というエポックメーキングな文明の転換期においても「和魂洋才」と俗に称されているように、異質のヨーロッパ文化を柔軟かつ大胆に取り入れ、我がものとしながら自らのアイデンティティーは失わなかった、素晴らしくも鮮やかな対応の見事さはまさに日本文明のもつ哲学のなせる業であったといえよう。
世界の列強国があわよくば植民地にすべく虎視眈々と狙って日本に迫ってきた幕末期に、日本人の見せた対応は他の植民地化されたアジアの国々とは全く異質のものであった。初めは国家を守る日本人のプライドから断固として尊王攘夷を叫んで戦いを挑んだが、国際社会の大きな時代の流れを正しく理解すると、一転して開国に向かって国家体制を一つにするべく動く。すなわち徳川幕府二百年の古い「幕藩体制」を王政復古と称して、朝廷側に返上し、進んで大名たちの「藩」を無くし「サムライ階級」であった武士たちの特権を取り上げるという大変革を、大小幾つかの反対勢力による抵抗の事変はあったが、最終的に見事に統一して、近代国家に変貌させたものは何であったのかの問いかけには、明解な答えは認められていないが、我々はその「何か」こそ日本文明史の基層に生き続ける日本人のアイデンティティーを形成してきた「日本の心」であると言いたい。
この「日本の心」こそ我々が「日本文明論序説」として本論で詳論する基本テーマである。この「日本の心」「日本人のアイデンティティー」こそが、幕末の難局を克服し、見事なまでの近代国家への改革・変身を成し遂げた原動力であったと我々は主張する。
明治維新は日本文明史の一万有余年の永いスパンの中でも特筆すべき時代のエポックメーキングな出来事であり、偉業であったと位置づけることができる。と共に、そこに日本人のアイデンティティーの優位性と日本文明のもつ哲学の「明」の部分を見ることができるが、問題は明治以降の大正・昭和史のもつ「暗」の時代である。すなわち「太平洋戦争」という第二次世界大戦の主役として世界に迷惑をかけ、多くの国民を犠牲にした悲しむべき時代の反省と自戒を語るべきであると我々は考えている。成功と失敗、光と影の歴史の中で、この失敗の時代を日本文明史の中に如何に位置づけ、負の側面として如何に率直に反省するかが問われるところである。
詳細は本論にゆずるが、ここで日本国の歴史上に負の側面をもたらした遠因、または真因は何であったかということを文明論的な視点から簡潔に触れておく。
我々は、その遠因であり文明論的には真因であるものは、明治維新の素晴らしい成功の陰にすでに萌芽としてあったと指摘したい。この柔軟な日本文明のアイデンティティーに立った「和魂洋才」という二つの側面を巧みに使い分けた明治維新であったが、次第に「洋才」にのめり込み、「和魂」すなわち「日本の心」を軽視し、伝統あるアイデンティティーが徐々に希薄になっていき欧米列強大国と同じ力の論理、すなわち軍事力の強化の手法で国家を構築し、軍事大国化していったことにある。そして軍部が国家運営の中核に躍り出たのである。
【近現代】
そして今一つは、全体主義のガバナンスのために天皇を一元の中心として据えたことである。憲法を踏まえた立憲君主制ではあったが、軍部が自らのガバナンスの象徴として天皇をかつぎだし、天皇に大権を与えて絶対化し一元化したことにあると断じたい。これはきわめて重要なことであるが、日本国の縄文時代以来の悠久の歴史の中でも無かったことである。我々の研究によれば飛鳥・奈良朝以来、日本国の文明史には中国の如き一元の絶対君主体制は有しなかったことは明らかである。このことは本論で詳しく述べる予定である。やがて軍部は肥大化し、議会主義制度は名ばかりの軍国主義的全体主義の軍部専制国家となっていったわけである。
日本国の軍事大国化を早くから警戒していたアメリカは日本軍部の中国への進出を見て、日本孤立化の国際包囲網を画策し、その手法として国家のライフラインである石油資源の日本への供給を遮断するに至る。ここに至って日本は太平洋戦争に突入していかざるをえない危地に追い込まれたわけであり、この局面を見る限り一部右翼、保守派の知識人の主張する太平洋戦争開戦の責任はアメリカ側にもあったこととなる。
しかしながら、文明論的視点で見れば、先ほども触れたごとく、悲惨な戦争へののめり込みの遠因・真因は、日本古来の伝統的な日本文明の軸足から欧米文明の力の論理、すなわち軍事大国化へと軸足を移したことであり、日本人のアイデンティティーとして受け継がれてきた「和魂」「日本の心」を忘れたことによると断じたい。
とはいえ、(謙虚に反省は反省としてなすべきことはもちろんであるが)太平洋戦争史をめぐる昭和史は、一万有余年の永い日本文明史の歴史の流れの中では極くわずかな時代の出来事であり、この負の側面の窓から見える景色を拡大視して、ルース・ベネディクト女史の如く(直接話法での批判文言は避けているが)、日本文明は好戦的であり特殊であり、普遍性がなくワールドガバナンスを論ずる資格なしと決めつけるのは、日本文明史全体の流れを縄文時代より辿りながらその基底に流れる哲学を抉り出して正しく日本文明を論じようとする立場からは賛同しがたいところである。ちなみに十字軍という聖戦の名において為された他国への残虐な侵略が何世紀にもわたって続けられた歴史が、ヨーロッパ人にはある。竹山道雄著『剣と十字架』によれば、室町時代から昭和までの約4~500年間に起きた戦争の回数は、イギリス・フランス等7~80回に対して日本は9回であった。日本人が好戦的であるとの決めつけはおかしいといわざるをえない。
(3)下巻
次に第二のスキームである下巻では、この様な日本独自の精神文化が、果たして正しく客観性をそなえたものであるか否かを、現代先端科学の目でもって検証してみようという試みに挑戦する。我々の日本文明研究の重要な枠組みは、その手法として「科学=サイエンスという学問のもつ実証性を重視し、尊重し、実証による証拠付けをしながら進めるということである。そもそも科学には、学である限り「理論性(仮説の定式化)」「実証性(理論の実証、検証、証拠付け)」「復証性(仮説の再現性)」の三つが要請されるが、我々の研究もこの三つの側面を満たすものでなければならない。
しかしながら、歴史学や経済学等いわゆる社会科学は直接実験の許されない、人間行動の一回限りの出来事に関わるものであり、実証性と復証性を欠くが故に、真理性・客観性において直接実験のできる自然科学より劣るとの見方がされてきたが、最近では社会現象、すなわち経済活動等の本質を数学モデルで表現して、それについてコンピューターシミュレーションを行い、いわば社会実験を実現して、経済学などの社会科学にも実証性と復証性が付与されるようになってきている。
【現代物理学】
さてそこで第二のスキームである下段(下巻)では、先端生命科学である分子生物学や、自然科学である素粒子物理学・宇宙物理学の知見に立って、第一のスキームである前段で探求した日本文明史の基層に潜む哲学のもつ真理性・客観性を検証する試みに挑戦するわけであるが、この場合も我々は我々の問題意識である「二つ一つが自然の摂理である」との命題を踏まえて、現代科学の知見を尋ねることとする。すなわち、物質世界のミクロの仕組みと構造の分析・解明を求めて進められている素粒子物理学の分析研究の成果に、この命題に適応するような、あるいは示唆するような基本メカニズムの存在が伺えるような事実は無いのかどうか。現代物理学の研究に携わる専門の学者に問いかけたいと我々は考えている。
そしてまた、宇宙の世界のメカニズムの中にも、「二つ一つが自然界の摂理である」とする命題が示唆するような法則が有るのか無いのかを専門分野の宇宙物理学者に尋ねたいと考えている。我々の知りえている知識によれば、宇宙は今も高速で膨張を続けている事実が確認されていると言われている。外に向かっての力である。これに対して他方、天体には引力が存在する。内に向かっての力である。この外に向かっての「斥力」と内に向かう「引力」の相矛盾する二極対立の原理が、宇宙メカニズムの根源に存在するのかしないか。
現実の4次元時空の世界はニュートン力学の世界の絶対時間・絶対空間の理論を超えてアインシュタインの「一般相対性理論」によって解明されている。物質のミクロの世界のメカニズムは「量子論」によって解明されつつある。しかしながら、4次元時空の世界より根源の次元に二極対立の実在が無いのか。量子論の理論的支柱の一人であるボーアは、ミクロの物質観・自然観の特性を「相補性」という言葉で説明している。相反する二極対立の実在が相補いあって一つの事物や自然世界を形成しているとする考え方であるが、我々の「二つ一つが自然の摂理」とみる哲理と非常に近い考え方であると思わざるをえない。
【生命科学】
続いて生命科学の知見からもこの命題を考えてみたい。地球上に生きる全ての生物は、何故か植物・動物・魚類を問わず全て雄と雌との両性から構成されている。そしてこのいわば相矛盾するキャラクターをもつ二極対立の生物が一つに交わり二つが一つになって新しい生命を誕生させているという事実がある。人間の誕生も女性の卵子に男性の精子が突入し二つが一つになった時点が原初である。鮭が命がけで川を遡り雌と雄の合作で子孫が永続している事実も、我々に感動を与える出来事である。
また、すべての生物はバイオリズムなるものをもっている。生命のあるものは植物から動物に至るまで、その生体活動が周期的に反復運動するというのがバイオリズムであり、正確な時計のように時を刻んでいる。このバイオリズムは、自然現象がそもそも基本的に周期的な反復運動を繰り返しているが故である。すなわち電磁波・光波・音波等の周期的な二つの項の間の反復運動から、太陽と月の天体の運行、昼・夜や四季の変動、潮の干満、太陽活動の極大期と極小期の交替等の周期的な反復運動に至るまで、宇宙現象はすべて周期反復運動が基本原則となっているからである。何十万、何百万羽もの渡り鳥たちの赤道をまたいだ北極圏から南極圏への壮大な移動もそうである。そもそも40億~38億年前の遠い昔地球上に初めて生命体が誕生したが、それは原核細胞でできたシアノバクテリア等の単細胞生物であった。そこから進化が始まった第一歩は、これらの単細胞生物の二つが一つに共生し合体して、真核細胞をもった多細胞生物になった時点こそが、重要な生物進化の契機であったとの知見は、今や生物学界の定説である。この自然のもつ事実が我々に教えているものは、「二つ一つが自然の摂理」であり、地球上の生きとし生けるすべての生命あるものは、この天の摂理の支配下にあるということである。
【現代医学】
次に現代医学の知見に立ってこの命題を考えてみる。
人間の身体メカニズムを考えるとき、重要なことは、病気の原因として、外部からの感染症の病原体や、環境からの危険因子を重視しがちであるが、むしろ逆に人間の身体のもつこれらの外敵への防衛能力・免疫力こそ重視すべきものである。この働きを制御しているのは自律神経系と内分泌系である。自律神経系には大きく分けて二つある。交感神経と副交感神経である。交感神経が活性化されると、内分泌系も活性化して多くのホルモンが分泌され、体が緊張し活発化する。これに対して副交感神経の役割は全く異なっている。活性化するのは逆に睡眠中やくつろいでいる時でありエネルギーを保持し身体を成長させる。この二つの自律神経の働きは全く相異なる二極対立の構造である。
そしてこの二元の働きが巧みに一つに作用し、機能して人間の健康は保たれているというメカニズムがある。まさに我々の主張する「二つ一つが自然の摂理」である、との命題が説得力をもって我々に迫ってくる。
次に、分子生物学が明らかにした今一つの驚くべき事実についても述べることとする。分子生物学によれば、人間の生命現象を制御している遺伝子(DNA)もまた不思議なことに、二極対立型の二重螺線構造を何故かもっている。DNAの構造はアデ二ン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の四種類の塩基が必ずA-T、G-C、T-A、C-Gというペアを組んで二極対立し、相互に補完し合いながら二重の螺線構造の形をなしている。この不思議な事実は、我々に二つ一つが自然界の生命あるものの摂理であることを強く訴えていると言わざるをえない。
(4)日本人のアイデンティティー
さて、以上我々は一つの仮説として「二つ一つが天地の摂理」なる命題を問題意識として取り上げてきたが、日本文明の基層に潜む哲学には、今一つの重要な哲理が存在する。以下述べる今一つの命題は、「人間観」に関わるものであり、人間の本性とは何ぞやの問いかけに答えることとなるものである。すなわち縄文時代の古代から継承されてきている日本人のアイデンティティーの核心をなす哲理である。それは“人間の本性は利己的なものではなく利他的なものであり、時に人は我が身を捨ててでも、他者あるいは全体のために尽くす”という凄味のあるものである。日本人のアイデンティティーを語るとき、多くの人は茶の湯の侘び・さび等の風雅な日本人の心構えや、和歌や詩歌に表現されている繊細な美意識をあげるが、人間の本性を抉っていない一面の真理に過ぎない。
世に広く知られていることではないが、江戸期200余年の間の佐倉惣五郎に代表される「義民」の歴史のなかにそれを見ることができる。義民史こそ日本人のアイデンティティーを語るとき特筆大書されるべきものと考えているが、後日にゆずることとする。義民の行動はまさに我が身の生命を捨てて他の多くの人を救うために取った行動であり、感動なくしては聞けない素晴らしい人間としての生き様であり、そしてその義民は稀なケースではなく江戸期だけで何千人といたのである。まさにこれこそ「大和心の雄々しさ」として語られる日本人のアイデンティティーの核心をなすものである。この日本文明の歴史の中に見られる日本人のアイデンティティーは、文明論の視点から如何なる意味をもっているかが問われなければならない。
ここで本論「日本文明論序説」で詳論するこの「日本人のアイデンティティー=日本心」について、その核心部分のみを以下簡潔に概説してみる。
そもそも日本文明は古くは石器時代・縄文時代から数万年の時間を経て、古代人達が自然と共生し、自然のもつ摂理を直観し、自然と共鳴しながら自然から刷り込まれたとも表現できる哲学をその基層に秘めている。重要なポイントは、人間の知恵・才覚で考え出したものではないという点である。西欧キリスト教文明のヘレニズムやヘブライズムの哲学のもつヒューマニズム(人本主義)思想の特性である人間中心主義ではなく、人間は自然の摂理に従い、自然を征服するものではなく、逆に自然に合わせて生きるべきものとしたところである。この点こそが西欧キリスト教文明と日本文明の根本的に異なるところである。そしてその自然の摂理の基本原理は、雄と雌や火と水の如く相対立し相矛盾し相反する二極が相補充して、一つに働いて現実の物事は具現するという「二つ一つが天地の理法」である故に、そこから学んだ日本人の生き様も、そのようになっているということである。
すなわち、日本人のアイデンティティーには二つの相反する側面が一つになって発露している。
その一つは、「敷島の 大和心の雄々しさは 事あるときぞ 現れにけり」という歌(明治天皇御製)で表現されている。それは“我が身、時には生命をも捨ててでも全体のために尽くす”という男性的な勇気、勇猛心、無私・無欲の心であり、今一つは母性のもつ大きな愛情・包容力に満ちた心であり、自らを捨てて他者を愛し、他者に尽くす利他の行為を至上とする「譲る心」という言葉で表現されるような優しい心である。
歴史的には、前者は江戸期の義民史の中で語られている多くの民衆の苦しみを救うために、自分の生命を投げ出した義民の心や、昭和期の太平洋戦争での世界に類のない、世界を恐れさせた特攻隊の雄々しい心である。後者は古くは出雲時代の「国譲りの神話」の大国主命の心であり、自ら治めてきた出雲国を別の政治勢力から強要され奪い取られんとした時、世界の歴史上の常識からみれば戦端を開き戦って当然のところを、民の安寧と平和を想い、自分は身を引き譲ってでも、民が幸せになるのであればよしとして国を譲った香(かぐわ)しくも素晴らしい大国主命の心である。近くは明治維新における、日本人の示した不思議な行動がある。無血革命とも呼ばれる、世界の革命史上で珍しい大変革を、他の革命と比較して無血に等しい形で成し遂げた人々の心であり、明治維新の謎と言われる「日本人の心」である。(ちなみに、日本の明治維新では戊辰戦争から西南戦争にかけてでも二万人弱であり、それに対して、フランス革命では百万人超、ロシア革命は数百万人、毛沢東の中国革命―建国時~大躍進政策の失敗~文化大革命―では数千万人の犠牲者を出したと言われている。)そして、この「日本の心」は太平洋戦争の終結時に、昭和天皇が自らの身はどうなっても国民を幸せにしてくれと占領軍司令部を訪れ申し出て、米軍のマッカーサー司令官をして感動させた心である。
英国の17世紀の哲学者トマス・ホッブズは、人間は本来利己的であるとの人間観に立ち、したがって人間社会は「万人の万人による戦い」になっていくであろう故に、「契約」を作り国家と国民の間で契約に基づく社会を作るべきであると説いた。このホッブズの思想の流れがジョン・ロックに引き継がれていき、現代のアメリカ合衆国はその思想の流れの上に立つ代表的な契約社会国家である。従ってアメリカンカルチャーの基層に潜む人間観は「人間は利己的な生物である」との命題になる。そこで問題は人間の本質は利己か利他かである。人間観として果たしてどちらが正しい哲学であるのか。この設問への解は、現代生命科学の知見に求めざるを得ないであろう。
しかしながら、この生命科学上の知見に大別して二つの答えがある。一つは有名な英国の動物行動学者リチャード・ドーキンスの「遺伝子は利己的であり、遺伝子の乗り物に過ぎない人間は本来的に利己的な生き物である」と断じている。他方、日本の著名な分子生物学者村上和雄は「人間の本性は人間身体の分子レベルでのメカニズムをみる限り利他的である」と主張している。果たして人間の本性は利己的なものか、利他的なものかの設問は重要な意味をもってくる。
この設問に対して我々は以下のように考えている。ドーキンスの理論は基本的に発想が逆転していると言わざるをえない。何故かといえば、DNA(遺伝子)は核酸で出来ており、いわばDNAは核酸という物質の粒子に描かれているミクロの設計図である。ドーキンスの問題意識はこの設計図自体を、家を建てる場合の大工の棟梁と見なしているが、設計図とそれを駆使する棟梁とは別でなければならない。あえて結論を先取りしていえば(この問題は本論で詳述する)、それは「生命」と呼ばれるサムシングである。このサムシングこそ大工の棟梁に当たるものであり人間そのものである。DNAは設計図であって人そのものではない。従ってドーキンスの発想は主客転倒していると言わざるをえない。他方、村上和雄の主張は、分子生物学の知見からみて人間の本性は利他的であるとしている。この課題は、日本文明論の本論(中巻)の中心課題となるところであり、村上和雄の本論での論述に期待したい。
さらにこの課題は、ラマルクやダーウィンの古典進化論のパラダイムではなく、最近の進化生物学者等の新しい進化論の知見からも検証されなければならない。その原理とは、「弱肉強食」の「競争の原理」と「自然淘汰」の法則のみでなく、「相互扶助と協調」の原理である。最近の進化論のパラダイムによれば、自然界の生き物たちの姿は、ダーウィン進化論のパラダイムとは対極にある平和的共存であり、さらに言えば平和的共存だけでは話半分であり協同作業も見事に行なわれていると説いている。生物たちはいくつかの方法で他の種の生物を助けて生きている。無数に存在する異なる種の間の協同作業的なつながりは、自然科学のあらゆる研究テーマの中で最も魅力的な研究テーマの一つであるとまでいっている。弱肉強食の競争と自然淘汰の原理には説得力があり、自然界の生物たちの在り様の一面を表現していることは間違いないであろう。しかしながら紛れもなく平和的共存と種と種の間の助け合いの協同作用の原理も存在すると彼らは主張している。
高名な動物行動学者の今西錦司も「我々が目にしている生物学的自然は、生存をかけた競争という光景ではなく、平和共存という光景である」と述べている。ダーウィンの自然淘汰の法則は自然の側が生物を淘汰する主体であり、ナチュラルセレクションであり、進化は自然への適応の仕組みであったが……、逆に生物の側が主体となり、生物達の意志によって進化が進んでいる事実が最近の進化生物学によって数多く発見されて、「協力行動」「救け合いの協調」のキーワードが重要視されている。この事実を踏まえた新しい進化論の視点からの生命あるものの進化の歴史が示しているものは、我々の問題意識に通ずるものがあると言わざるを得ない。
さてそこで第二のスキームである上記のような自然科学や生命科学の実証的学問の知見が教えている法則と、第一のスキームで探ってきた日本文明史の基層に潜む哲理とが図らずも合致した場合、別の表現をすれば、両者の間に「同定」ができた場合、日本文明のもつ理念の真理性・客観性・普遍性は確実なものになるといえよう。21世紀に生きる人々は、今やキリストや釈尊や高僧たちが説いた説教だけでは納得しない。それを信じるのは一部の信者だけである。証拠をあげて検証されたもののみを真理とする現代科学の基本スタンスは万人の認めなければならないものである。従って日本文明は、もはやルース・ベネディクト女史がかつて批判し世界に喧伝したような、特殊にして野蛮な普遍性・客観性をもたない文明ではない。21世紀のワールドガバナンスの核心理論として堂々と世界へ向かって発信することが可能となるといえよう。<了>