【真理は少数にあり!】 

2018.11.1

代表理事 無尽 滋

日本は神代の時代から、事あるごとに高天原に八百万の神が集まって相談し、決めた事を奏上すると、天照大神が裁可するという国柄である(尚、天皇はいわゆる支配者ではない)。「和」を以って物事を決めてきた。天照大神は皇室の祖先神で、その子孫で始めて「天皇」となったのが神武天皇である。もっとも日本の氏族も様々な神を始祖としていることから日本は「神の国」ともいえる。日本の「神」は悪戯を働く神もいれば、貧乏な神もいる。全ての神が西洋の如く全知全能な神という訳ではない。さらに「荒魂」と「和魂」の考え方がある。怒って戦うときは「荒魂」、普段の柔和な生活は「和魂」である。日本の神は人間的である。ちなみに「神道」とは地上の生き物全てと連帯し、自然の生態系と生命連鎖の中で生きているという考え方であり、教義経典に盲従することなく、体験し体感し知恵を積み上げてきたもので強制的という概念はない。なお「荒魂」から「和魂」に自然に戻れる感覚を有する日本人と比較し、「荒魂」のままで「和魂」に戻らないのは外国に多いかもしれない。

最終的に天皇が裁可する決着方法は長く国民に受け入れられてきた。卑弥呼の時代から中世まで、日本の国家では「神への祭り」と「まつりごと(政治)」は同じ人物が司ってきた(祭政一致)。「天壌無窮の神勅」すなわち、天地(あめつち)と民が共に永遠にこの国を創り上げていくという思想である。なお日本独特の民主主義は国民が皆で話し合い、その上で多数決ではなく、少数の意見でも積極的に取り入れ、優れたものであればその意見も尊重している。

世の中の多くは「正解がない」ので、出した答えが正解かどうか誰も分からない。その結果いつまでも議論に明け暮れ、お互いに譲らなければ延々と論争が続く傾向がある。今では裁可者、天皇に代わり「世論は・・」「国民は・・」を持ち出して正当化する。また、ある時期から主に人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動(アイデンティティ・ポリティクス)が出てくる。かたくなな主張で益々議論が混迷してきた感がある。面妖なのは、皆で決めた裁可者、決定システムを否定するのである。議論の決着がつかない場合、国政のことは、国民が選んだ議員が多数決で決めるのである。皆は多少の不満はあるがどこかの段階で議論を納めていくのである。戦後偏狭な「民主主義」により「発言する権利」「個々の意見重視」のような風潮が跋扈しており、学者のいうことも裁判所の判決も国会で決めたことも、何でも文句をつける。「最後まで戦う」と言ってやたらと物事の決定が進まない。どうも外来種の神の勢いが増してきているようにも思える。信念を持っている人は尊敬するが反面、信念が強い人ほど始末が悪い場合がある。

しかし、良く考えると、ある課題が出された場合、統計的にいつも90%の正解を出す人の回答で、略、間違いないとする方が合理的だ。牽強付会の主張をすれば60%の能力の人は90%の能力の人に議論を吹っ掛けない方が効率的だ。高能力の独裁者も良いとする意見にも説得力はある。問題は自分が60%と自覚できないことである。謙虚の美風の復活を望む。

また規範を持たない人は自分で決めることになる。極端なことを言えば人を殺しても是となる。規範、すなわち物事を判断するときの根拠は人により違うが、義理と人情で動く人もいれば、高度な知識で最適な判断をする人もいる。義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義等を幼い時から教えられた場合も判断根拠が明確であって動きやすい。さらに昔の日本人は、「個」より「公」が上位概念で「公」を重視するのは日本人の特質ある。国家のため、集団のためには自己を犠牲にする。この根拠として「アポトーシス」と言って、オタマジャクシがカエルになるときに尻尾が消失するように全体を生かすために個が犠牲になる原理が本来人間には備わっているという人もいる。

判断基準が多様化しているのは良としても、日本共通のモラルバックボーンの多様化は是としない。「道徳」という言葉はさておいて、「道徳教育」の必要性が叫ばれているのも首肯できる。ちなみに道徳を考える場合、道徳は二面から構成されている。一面は「人(仲間)を殺してはならない」というような絶対的な掟である。もう一面は「仲間らしくしなさい」という掟のこと。仲間の範囲はバーチャルな仲間(宗教集団や所属団体等)もあり、内容も変化する。そういう意味では日本(列島)人という仲間の掟である「道徳」を再構築することはモラルバックボーンを確たるものにすることに繋がるような気がする。

さて日本は神(天皇)が最初にいて国民が出てきたのであって、外国のよう国民が主君(権力者)を選ぶというものとは根本的に異なる。周知のように日本では勤労の考え方は神様と一緒になることであり、欧米のように労働は「神が与えた罰」とは異なる。こうした神の国では神道、仏教、儒教などがしっくりきて、欧米の個人自由主義、世論民主主義などとは心持が異なる。戦後GHQにより半永久的に日本人を「弱体化」させる「日本弱体化政策」により武士道はじめ剣道、柔道などの「道」がつく日本の文化を禁止した。日の丸、君が代も禁止した。神社へ集団でお参りする事も禁止した。優秀な生徒の飛び級も失くし一律「6,3,3,4年制」となった。国の神話を否定し宗教を否定し文化を否定し日本人を骨抜きにする。国民の精神が崩壊し、日本人としての矜持がなくなれば国は亡びるという事を良く理解している政策である。逆に言えば再び日本を強くするには、GHQ政策の逆をやれば日本は強くなれるということである。

世界は今激動の時代を迎えつつある。中国では習近平国家主席が建国から100年となる21世紀半ばまでに経済、軍事、文化など幅広い分野で世界の頂をめざし、米国と並び立つ強国となる長期構想を隠さない。もはや、明確に覇権主義を打ち出し社会主義革命に邁進するという。それを受けて米国は新冷戦に向け手を打ち始めた。このまま中国を放置していることは出来ないとし、明確に新冷戦に突入している。中国共産主義VS米国資本主義である。日本はどうするか。皮肉なことに第二次世界大戦で日本はアジアを列強植民地から解放したが、日本が戦勝国米国の実質植民地となった。すなわちサンフランシスコ条約では対外主権を含む国としての最高独立性は留保されており完全に独立をしたとは言えない。米国は東アジアレジームで中国、韓国という隣国を使い日本をコントロールしてきた。今、日本が真の独立を果たし再び世界で輝きを取り戻すためには、縄文から数えて1万数千年以上の歴史、文化に矜持を持ち、日本再生に向け日本が独自に大きく舵を切ることである。