【グローバル企業と如何に戦うか】

2019.8.3

国家ビジョン研究会 代表理事 無尽 滋

 「グローバル企業」、すなわち、欧米のグローバル企業と中国の国家的企業は、当然ながら、資本の論理により地球規模で利益を漁り、最大化を目ざす。また、その拡大の過程で優れた技術・人材等の経営資源を有している優良企業を圧倒的な資本、物量で情け容赦なく飲み込み、ライバルを蹴落として市場を蚕食することとなる。そして最後に行きつくところは一つの超巨大なグローバル企業複合体の出現であり、それが世界経済の頂点に立つことになるのである。今、国家予算を凌ぐ企業がいくつもできている。グローバル化した経済の行き着く先は、この傾向のさらなる拡大強化であると予想される。
 その結果、世界経済はもちろん、世界の政治も司法も軍事力も情報もマスコミも、さらには国家でさえも巨大なグローバル企業に支配されることになる。しかも、その頂点に立つグローバル企業複合体の意思決定は、そのトップにいるほんの一握りの経営者によりなされ、その政策は秘密裏に行われることとなる。そしてついには国をも動かすのである。


 グローバル企業は、人件費の安さを求め世界中を移動し、税金の安い国を探して移動し、また資源の豊富な地域を求めて移動する。その結果、大多数を占める低賃金労働者が世界中に生まれ、農民はその流通や販路を支配されて農奴のように働き、小さな工場経営者は失業を恐れ、奴隷の様に必死に働くことになる。このグローバル化の波に飲み込まれた企業、国家は哀れである。
 それは極端な話をするなら、言論の自由は無くなり企業批判も出来なくなるという事である。 もし批判や抵抗をすれば仕事を失う。その結果、民衆の意志は無視され、民主主義は正常に機能せず、言論の自由も消失する。かつての絶対王政時代の国王のように、世界は超巨大グローバル企業を支配する一握りの者の手に握られることになるのである。
 これまで人類の知恵として、国民に悪影響が大きいとして独占禁止法が施行され、企業同士での談合も禁止されている。そこには健全な競争が社会を進歩させるという思想がある。 しかし、グローバル企業のパワーが強くなると競争をする余地もなくなる。グローバル企業は競争する相手を飲み込むからである。その結果、やりたいことができる強大な力を持つようになる。
 そもそも、グローバル企業は効率化を最大限に追求し、安い労働、資本、不動産等を世界中に求め、極めて高効率な生産活動を可能にする。それにより得た利潤を、ともに働く労働者や関連企業や協力国に適正に分配すれば、それは確かにより合理的ではある。生産性の高いグローバル企業により、世界はより良くなるという理屈は成り立つのである。
 しかし残念ながら現状では、経営者が数十億円の報酬をとり、人件費の安い国の労働者の賃金は低水準に抑え、資源は安く買いたたき、しかも国に税金は払わないという強欲メンタリティーが跋扈している。この欧米型のグローバル企業と中国の国家的企業は、日本から見ると異様で剣呑な世界と見えることは否定しがたいことであろう。その背景には「損得勘定だけの哲学」「強いものが正義という哲学」を背景に、欲しいものは手段を択ばず奪い取り、自ら支配者となって、他者は奴隷のように利用する利己的な思想が垣間見える。何故そのように利己的で強欲なのか、何故必要以上に富を得たいのか、何故他者を支配しようとするのか、何故自分の国への帰属意識がないのか、等々、日本人である我々の思想風土からは彼らのメンタリティーは理解しがたいものである。それは明らかに日本の文化・思想とは対極にあると言って過言ではない。


 歴史を顧みれば、中世の社会における強大なパワーは、政治権力と軍事力である。これを国王や貴族など少数の特権階級の人間が支配し、大きな力として国家を支配していた。その弊害の反省から民主主義が生み出されて、次第に先進諸国に普及してきたのである。
 しかし、現代において、これまでにない新たな強大なパワーをもつグローバル企業が生まれたのである。超強大な経済力は資本(マネー)の力で権力、政治も雇用もマスコミも軍事も支配できる、そして最後は人の心(民主主義他)を支配してしまうところまで行きつくであろう。
 グローバル経済による支配が完了してからでは手遅れである。このままグローバル企業が飽くなき欲望で成長すれば、世界を滅ぼすまで止まることはないであろう。
 それを止めるにはどうしたら良いのであろうか。グローバル企業を倒すのはグローバル企業しかない。欧米のグローバル企業と中国の国家的企業を市場を排除する以外ない。
 今こそ、世界のためにも「日本型グローバル企業」を育て対抗することが必要であると考える。日本型グローバル企業は、一部の支配者だけが利益を得るような欧米型や中国型ではなく、儲けた利潤は異なる国籍を含めての社員や資源提供国や経営者、資本家、取引先、他全体で利益を適正に分配するのである。そもそも企業が儲け過ぎることは、顧客から適正利益以上の暴利を得ていることであり、適正な価格ではないという事である。日本型グローバル企業が成功すれば、安価な労働力を提供する国は、資源を買いたたかれなくともよいので、その国にとっては欧米型グローバル企業と手を組むより日本型グローバル企業と手を組む方がはるかに国益にかなうので、日本型グローバル企業を選択するであろう。今、日本は日本の文化を背景とした日本型グローバル企業を育てることが急務である。


 究極の狙いは、日本が日本人のもつアイデンティティーにより、各国が経済的・物質的にも豊かな国となり、かつ貧富の格差の少ない平等で、争い(不平不満)の少ない国、そして助け合いの精神で安心して生きられる素晴らしい文化をもつ国として存立し、それを事実として世界に立証することである。最終的に、日本型グローバル企業が勝ち残った暁には、世界の国々はより豊かになり、当該企業も、適正規模の企業に分社化し適正な競争社会を取り戻すようになる。
 そのためには、国家戦略として次のような政策が必要とされるであろう。たとえば、グローバル企業たらんとする意思のある、またその可能性を有する企業を「(仮称)国策企業」に認定し、そこに徹底した優遇策を実施し、あたかも中国共産党のように国が後押しするという方法でグルーバル企業化を実現させるのである。また、成長を期待できる戦略産業をピックアップして、資金面の支援、税制上の優遇、設備投資調整、企業合併の推進、情報等の措置により産業の育成を図るということも必要なこととなろう。また、成長過程では高報酬や低労賃等はやむを得ないが、長期的な企業ビジョンでは平等な格差のない企業が目指されるべき姿であろう。「金」を出すだけで利益の大半を掠(かす)め取る資本家や送り込まれた高額報酬役員を排除し、労働者、経営者、資本家が平等な企業を目指すべきであろう。
 なお、その他の優良企業及び人材などが外国グローバル企業のターゲットとなる問題がある。これらの企業は「(仮称)保護企業」として、国家が保護する必要も生じる。グローバル企業の条件と同等以上の条件を提示して国家が守るのである。なぜなら同条件でもグローバル企業にとり、メリットがあると判断してアプローチするのであるから、日本が保護してもメリットがあるはずである。


 以上、欧米や中国型の強欲的・利己的スタンスのグローバル企業に対して、日本型のグローバル企業を育てることの意義を述べてきたが、そういう日本型経営理念に基づく、あるべきグローバル企業の成功には何がもっとも肝要にして求められているのかと問うなら、それは「哲学(理念)」であると答えられるべきである。要は人であり、またその共同体である企業としての生きざま、哲学(理念)の問題が問われているのである。